もので、其の苦心は、尋常一樣でなかつたことは、谷本、松本、内藤の諸博士の御演説集を一見致しましても、判然致します、此等は、孰れも、龍の全部を描出したものであるが、しかし、龍と申すも雲を得て、始めて、靈ある次第でありまして、風に駕し、雲を御して、始めて四海の上に飛翔することが出來るのである、私は、自から揣るに、到底龍其のものを描くことは、其の器でない強ひて、やれば、或は、蛇となる恐があるから、此の際、寧ろ、龍のつきものでありまする雲を描きたいと思ひ、又風を描きたいと思ひましたのが、即ち、大師の時代と云ふ題目を選擇しました所以で、大師の肖像ではないが、其の背景であり其の周圍であります、大師が、よりて以て飛翔せられた風雲であります、龍を描いて、雲を描かなかつたら、如何にして、其の靈を示すことが出來ましやうか、大師の文章才學を述べ、其の功業遺徳を讃歎しましても、大師を出した時代、大師が飛翔せられた雲霄の光景が、明かでない以上は、大師の面目が完全に描き出されんとは、云へない、此の點より申せば、私の選擇しました題目も、大師の遺徳を紹述します上に於ても决して、關係がないものとは、申されぬ次第と確信致
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