人の知悉する所で、今更ら事珍らしく述ぶるまでもないが、これによると、少くも、景淨と云ふ高僧は、般若三藏の友人であつたことが明白である、又景淨のみならず、其の他の景教の僧侶達とも、交際があつたことも、想見せらるゝ次第であるが、かゝることは、餘計の想像と云へば、夫れまでゞあるが、大師在唐の時は、般若三藏にも師事せられたことであるから、或は、三藏の許で、此等景教の人々とも、邂逅せられたことがないとも云へぬ、景教流行碑は、先般「ゴルドン」夫人とか云はるゝ英國の婦人が、高野山に建てられたとの事であるが、私は未だ一見もせぬから、其の眞僞は知りませぬが、これは、洵に當を得たことで、前にも申した通り、景淨は、般若三藏の友人であり、又密教所依の經典たる理趣六波羅蜜多經が、一時胡語から景淨の手によりて、譯せられたこともある位であるから、般若三藏の高風を欽し、大師の在唐の時代を偲ぶには、好箇の一材料であると私は思ふ、高野山の當路者が「ゴルドン」夫人の乞を容れて、其の美擧を賛成せられたは、如何にも大師の遺弟として、かくあるべきことで、九泉の下、若くは都率の上に於て、般若三藏は喜ばるゝことゝ思ふが、更らに一歩を
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