共に、了解せられ、氷釋するがごとき趣があるは、自から顧て、不思議の感がある。
大師の時代を論ずるには、當時の日本と支那とを了解せねばならぬが、當時の日本は、今日の日本とは異つて居つて、とりたて、世界に對し誇るべき程の文明はなかつた、すこし、矯激に亘る嫌はあるかも知れませぬが、當時大師の活動せられて居た奈良や京都の都は、要するに、支那の摸倣であつて、其の都に居つて、全日本を支配する位置に居られた方々の思想、並に好尚は、一に支那の摸倣に過ぎない、今日宮内省の所轄である正倉院の御物を、私は拜觀いたしたことがありましたが、同時に、近頃支那や、中央亞細亞などで、發掘した唐代のものと覺ぼしき美術文書などを見て、竊かに比較憶度致しましたが、從來、奈良の古社寺などで、何々天皇の御宸筆であるとか、何々皇后の御筆であるとか、又は何々大臣の作であるとか傳へられました古經古書などは勿論、古美術品でとりましても、果して、所傳のごとく、僞でないとすれば、實に眞に逼つた支那の摸倣であつて、如何にして、かくまで、眞物に似たものを摸倣し得たかと疑はるゝ次第であるが、これを以てしても、當時の上流社會が、如何に支那に文物を好尚したかが明瞭である、しかし、自分の考へでは摸倣にしても當時かくまで巧になし得たか否やを疑ふもので、平安朝の初は暫らく論ぜぬことにして奈良朝の中葉のつきて論して、見ますに當時の知識ある階級、即ち卿相僧侶の方々が、正倉院御物に於て、或は、奈良の古社寺などに存在する文書、繪畫等を自分の力で製作し得た程、進んで居つたか、どうか、甚だ疑はしい、自分の信ずる所では、某卿の作とか、某大臣の作だとか、或は何某の高僧の手に成つたものだとか云はるゝものゝ中に、支那朝鮮からの輸入品と認むべきものは甚だ多い、殊に古經などは、豊滿含潤、見るからに、骨董好きの人々に埀涎せしむる樣なものは、當時の純粹の日本人が書いたものでない、皆支那からの輸入したものか、支那の寫經生が書いたもので、現に正倉院の御物の中に、當時の日本人が、確かに書いた文書もありますが、比較して見ますると、書の巧拙に於て、雲泥の差があります、奈良朝の中葉に於ける支那の書風の摸倣は、未だ其の堂に上つたとは、思はれない、以上云ふたことは、必ずしも、區々たる書風につきてのみ云ふのではない、美術工藝の上でも、これに類したことゝ思ふ、今日保存せられて居る美
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