術上の逸品は、或は、支那、朝鮮の歸化人が、作つたものか、然らざれば、輸入したものであると云ふのは、私の斷言して憚らぬ所である、もし當時の日本人が、日本にのみ居つて、支那の美術工藝の品を摸倣したものがありとすれば、これを支那の手本と比較すると、其の差は、盖し、巴里の春の「サロン」と、文部省が毎年東京の上野で開催する展覽會との差以上のものあつたと確信する次第である、しかし、繪畫と彫刻とか、工藝とかは、ともかくも、目で見れば、わかるもので、所謂胡蘆によりて、樣を畫き、支那傳來の樣式を墨守して、正直に摸倣すれば、精神はとても移すことは出來ぬとしても、形式だけは、具備することは、左程の難事でない、獨り、宗教や學術の如きは、其の主要なる所は、精神の機微に存する次第であるから、これを外國より傳へ來るにしても、傳へるものは、先づこれを會得し體得して、自分のものとせねばならぬ、殊に學術の中でも、哲學などは、たゞ/\書物ばかり讀んで、字義ばかり、たどつたとて、會得が、出來るものでなく、又宗教の中でも、形式の部分は、比較的移植され易いが、教相の部分は、哲學と同じく、暗默の中に悟入することを要する所がある、師資相對して、問ふことを得ず、教ふる事の出來ぬ部分がある、隱約の間に、双方の心が融會することを必要とする部分がある、かゝる次第であるから、如何に留學生を送り、如何に明師を迎へても、又如何に書籍を輸入しても、到底充分會得せられぬ部分があることは、免れない、奈良朝の佛教と云へば、先づ指を法相三論華嚴に屈するが、かゝる哲學的宗教は、これを輸入するには、如何に書籍を輸入し、又留學生を送りたりとて、完全に、會得せられ、領解せらるゝには、幾多の歳月を必要とする次第でありて、要は、俊邁達識の士が、良書を得て、其の中に於て、自己を發見するか、然らざれば、明師に遭うて、其の意見は、自己の考へと默契する所があつて、始めて、完全に、教は了解せられ、師資相傳するものである、しかし良書は、孰れの世でも得難い、明師と俊邁達識の士とは、遇ひ難きものである、されば、奈良朝の佛教と云ふものは、輸入佛教ではあるが、其の當時、輸入の困難であつたことは、想見に餘ある次第で、早い話が法相宗の輸入である、これは、更めて申すまでもなく、玄奘三藏が、渡天の上、戒賢其の他の論師から受けて、唐土に輸入したものであるが、かゝる教義は、本來發
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