ことになつた次第である、私が先年巴里に留學のとき、佛蘭西の國士の遺骸を斂めた「パンテオン」と云ふ塔の近傍に暫時寓して居つた、其の傍には、「ソルボンヌ」大學や「コレージユ、ド、フランス」など云ふ學校があるが、其の學校の上に當りて、巴里中の最も爽※[#「土へん+豈」、42−9]な部分に、「サント、ゼニネーブ」と云つて、巴里市の守本尊の名を冐した、圖書舘がある、其の正面と側面とには、世界の中で昔から學術の進歩に貢献した名士の綺羅星のごとく、刻まれてあるから、試に日本の學者の名が、出てないかと、仰ぎ見たが、一人も出ていない、段々と正面から側面の方に廻はつて見ると、忽ち、「イ、ヒン」(i−hsing)とあつた、「イ、ヒン」とは、一行[#「一行」に白丸傍点]の官話音である、「ラプラース」や、「ニユートン」などと、肩を並べて、一行禪師の名が、輝いて居る、私はこれを見て、天涯萬里の外に、一人の故舊と遇つた心地がした、同時に、人間と云ふものは、孰れの國に生れ、孰れの時代に生れても、刻苦して宗教學術に貢献して置きさへすれば、假令ひ、其の同時代の人々から、かれこれ云はれても、又、疎外せられても、冷遇せられても、千載の下、いつしか知己があるものと感じた次第である、諸君は素より弘法大師の遺弟であることを忘れてはならぬが、同時に、大師が異世の師に、一行禪師のあつたことを誇りとせねばならぬ、西暦第八世紀の前半に於て、世界第一の暦法學者が、密教の高僧があつたことを誇りとせねばならぬ、しかし、波斯の暦法が支那に入つて、支那人の間に、當時行はれたことは、不空三藏の譯した文珠師利菩薩及諸佛所説、吉凶時日善惡宿曜經を見れば、明白である、其の中、一週の日を、列擧して波斯語と胡語と、梵語との名稱を配してある。
日曜、太陽、胡名蜜(〔Mi_hr〕《ミール》[#hは下ドット付き])波斯名曜森勿、天竺名阿※[#「にんべん+爾」、第3水準1−14−45]底耶(〔A_ditya〕《アーデイテヤ》)
月曜、太陰、胡名莫(〔Ma_h〕《マーフ》)波斯名婁禍森勿、天竺名蘇摩(Soma《ソーマ》)
火曜、※[#「螢」の「虫」に代えて「火」、第3水準1−87−61]惑、胡名雲漢(〔Wankha_n〕《ワーンハーン》)波斯名勢森勿、天竺名鴦哦※[#「口+羅」、第3水準1−15−31]迦(〔Anga_raka〕《アンガーラカ》[#n
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