明暗の二元で代表せしめ、善の方は、精神又は光明の神、惡の方は、暗黒の神、即ち惡魔で、また物質そのものである、かゝる次第であるから、一般支那人の目から見たときは、末尼教も、※[#「示+夭」、第3水準1−89−21]教も殆んど同一の樣に見えたに相違なく、少くも、大同小異のものであるから、或は摩尼火※[#「示+夭」、第3水準1−89−21]教と一括し、大秦胡寺などゝ一括した名稱で、此等の二種の宗教を呼んだものと見える。
して見れば、長安志の所謂※[#「示+夭」、第3水準1−89−21]祠[#「※[#「示+夭」、第3水準1−89−21]祠」に白丸傍点]と云ふは、必ずしも、「ゾロアスター」の建てた「マズデイズム」の殿堂とは、限られない、末尼教の殿堂とも、解し得べきであると私は信ずる、現に末尼教は、大師の入唐以前百十年武周の延載元年に、長安に入つたことは、佛祖統記に出て居る、其の原文は、波斯國人拂多誕(西海大秦國人)持二宗經僞教來朝とある、二宗經僞教とは、即ち摩尼教を指したものである、二宗とは、二元と云ふと同じく、明暗の二元を指したもので、其の二、所謂二所とは、「パーラ※[#濁点付き片仮名ヰ、1−7−83]」語か、「ソグデイヤナ」語の 〔Do:−bu_n〕 の翻譯に外ならない、明暗生死の二元過去現在未來の三際は、末尼教徒が、受戒するときに、必ず會得すべき教理であるから、かく二宗經僞教と云ふたものと信ずる、又拂多誕とあるは、一寸見ると、波斯の人名であるやうに見ゆるが、是れも恐らく 〔Fur−sta−da_n〕 即ち、法教師と云ふ「パーラ※[#濁点付き片仮名ヰ、1−7−83]」語の音譯であるとの事であるが、私もこれには賛成する。
要するに、大師入唐の時代には、長安には、波斯の宗教が一つ又は二つ、基督教の一派の「ネストリヤニズム」も入つたことは事實である、即ち※[#「示+夭」、第3水準1−89−21]教も、景教も、事によると、摩尼教も、長安にあつた次第である、摩尼教は、長安にあつたことが疑はしきとするも、支那には、當時流布して居つた事は、動かすことが出來ない、佛祖統記によると、開元二十年即ち金剛智三藏が示寂の年に、玄宗皇帝の詔勅が出て居る。
 末尼[#「末尼」に白丸傍点]本是邪見、妄託佛教、既是西胡師法、其徒自行、不須科罰、とある、又大師入唐に先つ僅に三年即ち八百〇一年に完成した杜祐
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