に譯し改めなかつたなら、景淨が、自國の語から重譯した理趣六波羅蜜多經が、今日諸君の所依の經典となつたかも知れない。
以上説いた所で、大師在唐の當時には、長安には、※[#「示+夭」、第3水準1−89−21]教と景教とが流布して居つたことが、明白であるが、これは、所謂※[#「示+夭」、第3水準1−89−21]教を、我が國の東洋學者の嚴密な解釋に從つて、「マズデイズム」とのみ解釋した結果であるが、我々局外者の目から見れば、長安志や、佛祖統記などに所謂※[#「示+夭」、第3水準1−89−21]教[#「※[#「示+夭」、第3水準1−89−21]教」に白丸傍点]とは、果して、「マズデイズム」と云ふ宗教のみを指したに止まるが、否やは疑しい、現に、佛祖統記には、貞正觀[#「貞正觀」はママ]五年の記事に、初波斯國、蘇魯支立末尼火※[#「示+夭」、第3水準1−89−21]教[#「末尼火※[#「示+夭」、第3水準1−89−21]教」に白丸傍点]とあり、註に※[#「示+夭」、第3水準1−89−21]火煙反胡神即外道梵志也、とし、又勅於京師、建大秦寺云々とあるが、蘇魯支と云ふは、英語などに云ふ「ゾロアスター」を云ふにあるも、英語の「ゾロアスター」は、希臘語の「サズラウテース」(Zathrautes)又は「ゾロストロス」(Zoroastros)から來たのであつて希臘語の方は、「ゼント」語の(Zarathustra《ザラツユシユトラ》)の訛略を寫したに外ならない、しかし支那の方で云ふ、蘇魯支は、「ゼント」語の舊き形を音譯したとも見えない、察する所、これと、類似した、土語の訛略(Zrosc《ヅロシユ》)又は(Srosc《スロツシユ》)を音譯したに違ひない、此れは、餘事ではあるが、蘇魯支、即ち、「ゾロアスター」は、成程「マズデイズム」の建設者とは云へるであらうが、摩尼[#「摩尼」に白丸傍点]教の建設者は別にある故、蘇魯支は初めて末尼火※[#「示+夭」、第3水準1−89−21]教を建つと云ふは、とりもなほさず、一般支那人の目には、末尼教も、「マズデイズム[#「マズデイズム」は底本では「マスデイズム」]」即ち※[#「示+夭」、第3水準1−89−21]教も同一のやうに見えた一證據である、「マズデイズム[#「マズデイズム」は底本では「マズテイズム」]」は、「アフラ、マズダ」(〔Ahura−mazda_〕)に
前へ
次へ
全48ページ中17ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
榊 亮三郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング