、財産はなくとも世間で尊敬もせられるし、又、財産も造ることは出來る、財産はあつても學問はなくば、世間に出でゝ詐欺にかゝつたり脅迫に遭つたりして、ある財産もなくしてしまうなれば、まだしも、財産の爲に却つて身に殃を致す事例も知つて居るし、恃むべきは財にあらずして智識にあると云ふことも會得して居る、殊に古代印度に於ては吠陀は、一切の科學、宗教、法律、歴史、哲學に關する智識を收めた藏であるから、今日から見れば、日常生活には不適當な智識ではあるが、古代ではこれに勝るべき智識はなかつたから、吠陀に關する學問または智識あるものは非常に尊敬せられ、出でゝは卿相となり、處りては王者の封爵を受くることもあれば、己が女子の婿としては容貌よりもまづ古代の印度ならば吠陀の智識、大正の日本ならば人物學問に重きを置くと云ふことは、眞に己が子を愛する父親の情として、至當の事であると思はれる、これらと異りて、親戚の人々は婚姻の際、主として目を付けるは、婿たるべき人の容貌ではない、それも、不具とか、廢疾とか乃至嫌惡すべき疾病ある人とか云ふならば、嫁に行かんとする女子のために、つながる親族の縁もあれば、一應は兩親に異議を申
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