したとき妻も嫂も見むきすらしなかつたが、後六國の相印を帶びて家に歸つたとき、嫂は、季子が位が高くて錢が多いから、自分は尊敬すると云つたと大史公が書いて居るこのときの位は高いと云ふのはつけたりで、錢が多いと云ふ方が主であると云ふのは後世の史記の文を鑑賞する人々の定評である、由來、世話女房と云ふものは蘇秦の嫂のやうなものである、だから、己が娘の婿となる人は、なるべく富裕で、生活に不自由なく、衣裳萬端の調辨等にも、己の娘をして他に引けをとらさぬやうに思ふから、婿がねを定める上にも、子を思ふ母の慈悲には婿たるべき人の容貌はともかく、普通であれば別に異論はないが、貧乏で人なみの生活は出來ぬやうな人は、後日、己の家に厄介のかゝつてはといふ心配と、さしあたり、娘が生活にこまるやうではと云ふ懸念から、女子の婚姻の話がはじまると、第一に母親の心に浮ぶは己が女子のかたづく家の財産如何を問ふは、なべての母親の情である、母親に引きかへ、父親の方では、自分は普通は家を守ると云ふよりも、世間に出てはたらいて居るのが多いだけに、世間の事はわかつて居る、世間は必ずしも財産あるものばかりの世間でない、智慧材能あるものは
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