第3水準1−87−52]きやうも知らぬ、接する人とては、七光もすると云ふ親の威光にあこがれて、何かうまいことにありつかふとて出入する人々であり、讀むものとては稗史小説に現はれた才子佳人の奇遇談か、金殿玉樓に住む人々のいきさつか、ぐらひのもので、夏畦に勞作する農夫のことも、秋旻に澣濯する漂母のことも、きくことはすくない、きくことはあつても自分でやつて見ないから、ほんとの智識とはならない、であるから自分の將來の夫となり、婿となる人は姿は清く、顏たちがよくあることは第一に心に起るべき問題で、働きがあるとか、金儲がうまいとか云ふやうなことは思ふにしても第二にすると云ふは、おしなべての女の情である、これにひきかへ、嫁入頃の娘もつ母親の方にしては、四十歳前後の年頃であるから、舅姑への奉養、主人へのつかへ、兒子の養育、使用人の操縱、出入のものどもに對する心勞、一家の活計等につき、所謂渡世の辛酸はなめた結果、貧しければなほさらのこと、富んで居たからとて、欲には際限がないから、金さへあればと思ふことは常に心一杯になつて居るは、大方の主婦の心情である、支那の話ではあるが、戰國の時代蘇秦が遊學して困んで歸家
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