が、僧殘罪の犯人は首を斬られて[#「斬られて」は底本では「斯られて」]出血はしてもまだ胴體から全く離れた譯でなく、よい醫者が來て治療すれば命をとりとむることの出來る人のやうに、場合により僧團に復歸することが出來るから、僧團外のものともつかず、さればと云ふて僧團の一正員ともつかず、日本の軍律で云へば重營倉に入れられた軍人のやうで文官懲戒令で云へば待命謹愼中のものであり、一家で云へば、勘當とまでは行かぬが、三杯目には、そつと出す居候格の待遇で居る家族である、僧團の殘りもの、あまりものとしての格で居るから、僧殘と云ふのであると云ふ意味だから、大に明白だ、しかし、これで何事も隈なく明瞭になつたと思つたら大間違ひである。
(七)[#「(七)」は縦中横]なるほど梵語の方では僧殘罪のことは僧伽婆尸沙《サングハー※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]シエーシヤ》と云ふが、困つたことは梵語と同語系の語であつて南方錫蘭や、緬甸や、暹羅や、柬蒲塞などの佛經經典の語である「パーリ」語では、これに相當する犯罪を普通に 〔Samgha_disesa〕《サングハーデイセーサ》[#mは上ドット付き] と云ふのである
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