」即ち僧團全體と云ふ語の存在は明白であるが「殘」の語の存在につきては、さらに、説明がなく強ゐて説明すれば犯者は殘りものとして加へず犯者以外の僧團全員の出席を要するからとも解せられるし、犯者を除いて、殘餘の團員の出席を要するからとも解せらる、又四分律などでは、又此種の犯罪者の處分には、僧團全體に種々の用事が殘るからと云ふやうな解があるがこれも又感服出來ぬ、歸趣する所は同一だが、こゝでは歸趣を問ふて居るのでない嚴正に語意の由來を研究して居るのである、
第三説と第四説とに依ると、僧殘罪の性質は波羅夷罪の性質と比較して輕いから、波羅夷罪の犯者は罪がきまると僧團から放逐せられて御拂ひ箱となるが僧殘罪の犯者は一時は僧團からのけられて別居するが(〔pariva_sa〕)、罪を僧團の中にて懺悔し、恭敬謹愼して(〔ma_natha〕)改悛の實が見えたら再び僧團の中に復歸(〔a_varhana〕[#nは下ドット付き])することが出來るから、云はゞ波羅夷罪の犯者は首は斬られて、胴體と首とは離れてしまつて、耆婆、扁鵲が來ても、命を取とめることが出來ぬ人のやうに、全然僧團の中から放逐せられて、復歸の見込みはない
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