うきものなり。
[#ここで字下げ終わり]
この詩は、さきにかゝげた詩とは、體が異つて、四十四綴音から出來て居り、四分して十一綴音づゝとなり其の十一は、中で二分して五綴音と六綴音との單位に別れて居る、即ち帝釋杵《インドラヴヂユラ》と云ふ詩體である。
女子の結婚の場合は、日本の今日でも印度の古代でも、兩親の心配は、非常なものである、殊に古代の印度では相當な家の女子が一旦[#「一旦」は底本では「一且」]嫁に往つたのち、夫たる人が死んだときは、妻たる人も殉死するがよいと云ふことになつて居るから、親族どもの方でも、自分等の一族から「サティ」(貞女)を出したいと云ふ希望は常にあり、夫に死別れた女は衷心いやであつても、兩方の親族からこれを強制的に勸告することもある、しかし女のことであるから、勸告せられた時は決心をして居ても、いよ/\夫の死體が荼※[#「田+比」、第3水準1−86−44]に附せられんとして柴堆の上に載せられ、吠陀の諷吟が始まり、酥油を灌いだ柴堆に火がついて黒煙の中から紅蓮の舌を吐きて、焔が燃え上り、「サーマ」の曲が愁を含んで、寂しい音樂につれて、遠く翠微に響くとき、喪服をつけた婦人が、
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