佛教徒、正直な佛學者の疑惑を誘致して種々の牽強附會の説を惹起したもとであると自分は信ずる、最初から 〔samgha_tic,esa〕[#mは上ドット付き。2つめのsは下ドット付き] と梵語で傳はつて居たら、こんなことにならなかつたことゝ思ふ、しかし佛教の最初、起つた時代は、文字でかいて傳へるよりも、口から口へ記憶を傳へると云ふが原則であつて殊に戒律の規則などは、たとひ文字で書いてあつたにしても、日常の座臥進退に密接の關係があつたものであるから、必ずこれを記憶して置かねばならぬ、此の頃の法律のやうに文字でかいて、もつて居つて、疑惑あるごとに開いて見ると云ふやうなことではとても間に合はぬ、南方の佛教徒は昔も今も、八日毎に開く布薩の會には、波羅提木叉の戒文を誦するから、すべて覺えて居らねばならぬ、たゞに佛教徒のみならず、古代印度の法典も、またさうであつて、これを專門にして居る人々は、暗誦して居らねばならぬ、また古代印度のみならず、古代羅馬にても、さうであつて、羅馬の市民は少くも十二銅表に刻んである法文は記憶して居らねばならぬ、さもなくば「フオラム」で訴訟があつた場合に、立會つて何の事か自分ではわからぬ恐がある、だから羅馬青年の學科の中には十二銅標の法文暗誦は第一になつて居つたことは「シセロ」の書を見れば明白である。
佛教戒律の文も記憶で傳つた結果、種々其の語の由來について、判明せぬことが少くない、これらのことを明にして、はつきり、佛の本意を闡明したいと云ふのは、前猊下の御思召であつて、まことに結構な御趣意である、これには梵語で見て判然せぬときは、「パーリ」語でしらべて見、「パーリ」語でわからぬときは西藏文で見、なほ判らぬときは、中央亞細亞で、流沙の中から、西洋人、支那人、日本人が發掘した斷簡零楮について見ると云ふ必要が出來る次第である。
餘談はさしおき、「パーリ」語の 〔Samgha_disesa〕[#mは上ドット付き] は梵語の 〔Samgha_tic,esa〕[#mは上ドット付き。2つめのsは下ドット付き] に相當することだけは、明瞭になつたとして、然らば現在存在する梵本の中に於て、僧殘罪の原語は 〔Samgha_tic,esa〕[#mは上ドット付き。2つめのsは下ドット付き] であるかと云ふとさうでなく 〔Samgha_vac,esa〕[#mは上ドット付き。2つめの
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