sは下ドット付き] である、〔atic,esa〕[#sは下ドット付き] にしても 〔avac,esa〕[#sは下ドット付き] にしても「あまり」「のこり」即ち殘と云ふ義であるから、意味は同一であるが音が違ふ、佛在世の當時、いづれの語を使用せられたかと云ふと、それは淺學の自分には、まだ判明しない、これは後日の研究に讓りたい。
(八)[#「(八)」は縦中横]僧殘罪の名稱の由來縁起はこれだけとして、この波羅夷罪につぐ重罪の中に、佛は、何故に沙門の結婚を媒介することを入れられたか、一寸局外から考へると結婚の媒介は男女の淫樂を媒介するやうにも見えるから、いけないと意料さるゝが、なるほど、年頃の男女の私通を媒介するは、第一沙門たるの品位をも傷けるし、男女の淫樂の便益を計るのであるから、道徳上、よろしくないことは申すまでもないが、正式の結婚は必ずしも男女の淫樂のためでなく、今日ではいざ知らず、古代では印度でも、希臘羅馬でも一種の宗教的行爲であり、同時に又、法律的行爲である、宗教上から見れば、結婚と云ふ行爲によりて、甲家の女子が乙の家の男子に嫁すると云ふよりも、寧ろ、甲の家の守護神の下に居る一人が乙の家の守護神の下に移る行爲であり、また甲の家の祖先の亡靈が支那流の言葉で云へば永く、血食せんため、印度流の言葉で云へば倒懸地獄の苦みを免れんために祭祀をなし得べき資格あるもの即ち子孫殊に男子を生むに必要な行爲である、家の守護神とは祖先の亡靈又は祭壇に絶えず燃ゆる火又は火神である、印度ならば家の中にある三種の「アグニ」の神、羅馬ならば「※[#濁点付き片仮名ヱ、1−7−84]スター」、希臘ならば「ヘスチア」である、法律上から見れば、これに依り、舅姑に對する義務を負ひ、また、夫により扶養の權利を得、又結婚後自己名義の財産を所有する權利を得、又、所生の子に財産の相續分配等の權利を附與する一法律行爲である、隨而、正當の結婚行爲其物は、近代思想から云つても男女淫樂のための行爲でない、まして、家族主義の色彩が非常に濃厚であつた古代では決して、かく解すべきものでなく、甚だ純潔な、宗教行爲、法律行爲である、隨而これを媒酌することは、たとひ沙門の身であつても差支へはないと思ふが、佛は何故にこれを禁ぜられたかと云ふと、全く結婚其の物は不淨ではないが、結婚後、男女の遭遇する境遇が幸福であればよいが不幸にでもな
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