舊に復歸せしめんために、僧伽《サングハ》(僧團)は要求せらるべきものなり、かゝる場合には決して僧團なくして何等の集會の式典を擧行することを得ざるが故に僧伽は始中終に亘りて必ず要求せらる、この故に「サング※[#小書き片仮名ハ、1−6−83]ーディセーサ」とは云ふなれ、
[#ここで字下げ終わり]
右は「チルダース」の「パーリ」語辭典より孫引きしたものであるが、要するに、此の種類の罪を處置するには最初《アーデイ》から終《セーサ》まで僧伽の集會が必要であるから「サング※[#小書き片仮名ハ、1−6−83]ーディセーサ」と云ふのである、前に引用した毘尼母經第七に擧げた四種の説明中、第一説と第二説とに相當するやうである、して見ると支那で同じく、僧殘罪と云ふても其の原語の名稱の由來は區々多岐に亘りて、一定しないのみならず、名稱すら一方では「サング※[#小書き片仮名ハ、1−6−83]ー※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]シェーシャ」と云ふかと思へば他方では「サング※[#小書き片仮名ハ、1−6−83]ーディセーサ」と云ふ、「パーリ」語も梵語も同じく印度のアーリヤの言語であるが「パーリ」語は當時の俗語を基礎として梵語の典型にかき改めた一種の雅言であるから、「パーリ」語は佛出世の當時に於て印度のいづれかの地方の俗語であつたなど云ふ説はとるに足らぬ、まして摩羯陀國の語であるとか、阿輸迦王の弟で錫蘭へ佛教をはじめて持つていつたと云はるゝ摩哂陀の生れ故郷の「※[#濁点付き片仮名ヱ、1−7−84]ディシャ」(〔Vedic,a〕[#dは下ドット付き])地方即ち今の「ブ※[#小書き片仮名ヒ、1−6−84]ルシャ」(Bhilsa)地方の方言であつたと云ふ説などは「パーリ」語に限らずいづれの國の言葉でも文學の語と云ふものは、どうして出來るものかと云ふことを知つて居れば、かゝる議論は出來ぬ筈である、これは餘談に過ぎないが「パーリ」語は梵語に比して俗語に近いから聲音の種類も少ない、梵語では「シャ」行「スァ」行「サ」行と三種の遍口聲(シビラント)も「パーリ」語ではたゞ一つの「サ」になつて居る、だから「シェーシャ」と梵語で發音するのを「パーリ」語では單に「セーサ」と發音するのは不思議はないとしたところで、此の際丸くおさまらないのは 〔Samgha_vac,esa〕[#mは上ドット付き。2つめのsは下ドット付き]
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