が、僧殘罪の犯人は首を斬られて[#「斬られて」は底本では「斯られて」]出血はしてもまだ胴體から全く離れた譯でなく、よい醫者が來て治療すれば命をとりとむることの出來る人のやうに、場合により僧團に復歸することが出來るから、僧團外のものともつかず、さればと云ふて僧團の一正員ともつかず、日本の軍律で云へば重營倉に入れられた軍人のやうで文官懲戒令で云へば待命謹愼中のものであり、一家で云へば、勘當とまでは行かぬが、三杯目には、そつと出す居候格の待遇で居る家族である、僧團の殘りもの、あまりものとしての格で居るから、僧殘と云ふのであると云ふ意味だから、大に明白だ、しかし、これで何事も隈なく明瞭になつたと思つたら大間違ひである。
(七)[#「(七)」は縦中横]なるほど梵語の方では僧殘罪のことは僧伽婆尸沙《サングハー※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]シエーシヤ》と云ふが、困つたことは梵語と同語系の語であつて南方錫蘭や、緬甸や、暹羅や、柬蒲塞などの佛經經典の語である「パーリ」語では、これに相當する犯罪を普通に 〔Samgha_disesa〕《サングハーデイセーサ》[#mは上ドット付き] と云ふのである、そしてこれを説明する南方の佛教學者は 〔Samgha[#mは上ドット付き] a_di sesa〕 と分析して僧伽(僧團)の始《アーデイ》と後《セーサ》となし、種々の牽強附會の説をなして居る、其の一二を擧ぐれば
[#ここから1字下げ、折り返して2字下げ]
(一)[#「(一)」は縦中横]此種の犯罪により別住(波利婆沙 〔pariva_sa〕)の罰を科して反覆してこれを科し謹愼を命じたる上、舊に復歸せしむるは一人これをなすことを得ず、多數の人もこれをなすを得ず、たゞ僧團のみこれをなすことを得、この故に「サング※[#小書き片仮名ハ、1−6−83]ーディセーサ」と稱せらる。
(二)[#「(二)」は縦中横]僧伽《サングハ》(僧團)は最初に於ても、自餘の場合に於ても要求せらるべきが故に「サング※[#小書き片仮名ハ、1−6−83]ーディセーサ」とは云ふなれ、との文は何の意か、もしこの種の罪を犯してのち、清めんと希望するときは下に云ふが如きは、罪を清むるものなればなり、即ちかれに先づ第一に別住を科せんため、これについで、中間には恭謙、謹愼を命ぜんため、また時宜によりて反覆してこれを科せんため、終に於て
前へ
次へ
全27ページ中14ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
榊 亮三郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング