さんだから天子に近い、ならうと思つたなら、なれないことはないのだと云つた、嫁さんの公主は、ぐつと癪にさはつて、いきなり、參内して、代宗皇帝に申し上げた、これをきいて、驚いたは、舅の郭子儀で、さなくも、公主を震はし、一門の榮華は世人の嫉視の中心となつて居ることは知つて居るから、謹愼の上にも謹愼して、愛嬌を諸方にふりまいて、なるべく、亢龍の悔なきやうに、心配して居るやさき、こんなことが、湧いて來たから、早速、忰の瞹を捕へて牢に入れ、ともかくも、朝廷の處分を待つて居ることゝし、自から御詫のため、天子に拝謁した處が、これはまた案外で、天子の方では、郭子儀に向ひ、莫迦か、つんぼでなくば、しふと、しふとめにはなれない、こどもたちの痴話喧嘩は一々とり上げるなと、仰せられた、實に捌けた申し條で、御天子樣が、自分の女子を臣下にかたづけられても、これぐらゐに捌けねば、甘くゆかぬものである、代宗皇帝だつて、決して寛仁大度の君主でない、隨分在位十八年の間には、權臣を殺し勢家をも滅したこともある、然るにかう捌けて出たところを見ると、子を思ふ親心に、貴賤の別はないものである、女子もつた親は、御天子樣でも、嫁入り先きへは、遠慮をせねばならぬ、まして、下々のものが、娘をやり、婿をとり、自分達はしふとしふとめとなつて、圓滿に行くには、餘程遠慮をせねばならぬ、これがつらいことで、わけて、女子の兩親は、辛抱の上に、辛抱をせねばならぬことゝ思ふ。

(五)[#「(五)」は縦中横]とにかく女子もつ兩親は、心配なものと見えて、古代印度の文學に、これを歌ふた詩は、澤山ある、其の一を擧ぐれば左のごときものである。
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〔ja_teti kanya_ mahati_ha cinta_ kasma_i pradeyeti maha_n vitarkah[#hは下ドット付き]〕 |
〔datta_ sukham[#mは下ドット付き] prapsyati va_ na veti kanya_pitrtvam[#rは下ドット付き。mは下ドット付き] khalu na_ma kastam[#stはともに下ドット付き].〕||
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女子は生れたりとさへ云へば、この世にて何人に嫁入らすべきかと云ふ心配は大なり、嫁したるのちも幸福を得るか否やにつきても心配は大なり、女子をもつ親の境遇は實に
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