盾狽≠撃≠汲=jの信仰の起源は恐らく此の地方にあつたと私は思ひます。何分亞剌比亞海から吹き寄せて、濕氣と雨とを持つて來る西南恒信風が、印度の大陸に眞先きに吹きつけるのは此の摩頼耶國であります。この恒信風を利用して、亞剌比亞海から印度に來る船が眞先きに寄航する土地は、此の國であります。果して西暦紀元一千四百九十八年、葡萄牙の有名なる航海者※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]スコ・ダ・ガマ(Vasco da Gama)は、舟師を率ゐて亞弗利加の喜望峰を迂回し、亞弗利加の東海岸ザンヂバール(Zanjibar)から、亞剌比亞人を水先案内と致しまして南西の恒信風に任せ帆を上げて、眞先きに印度の大陸に到着した地點はカリカツト(Kalicut)でありますが、これはマラバール即ち金剛智三藏の出生または活動せられた地方の一海港であります。また亞細亞からの冬から春にかけて吹く東北の恒信風を利用して、亞細亞の産物を亞弗利加東海岸に齎らす商船が、印度から出發する場合には、亞剌比亞半島の南にある阿曼《オーマン》、亞丁《アーデン》等の諸地方に寄舶する便宜上、必ず此のマラバール即ち摩頼耶國の何處かの海港に寄舶せね
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