ホならなかつた。また波斯灣の兩岸に存在する諸都市の船舶も、印度洋、南洋、支那海に來往する場合にも、同樣でありました。殊に印度の哲學宗教史專攻の人々にとりて注意せねばならぬことは、今日印度の知識階級の思想を支配して居る吠陀論師(※[#濁点付き片仮名ヱ、1−7−84]ーダーンタ)の開祖シヤンカラーチヤリヤ(〔C,ankara_carya〕[#nは上ドット付き])の出生地はこの摩頼耶國であつて、其の活動の時代は、金剛智三藏の時代と略※[#二の字点、1−2−22]同時代であつたと云ふ事であります。
 金剛智三藏は、印度の大陸に生れ、大陸に活動したとは云へ、實際は摩頼耶と云ふ海國に生れ又は活動せられたのであるから、所謂海國男子であつたと思はれます。宗祖大師と同じく、瀕海の國で生れられて、海洋とは如何なるものか、海洋の中に於ける船舶内の生活とは如何なるものかは、蓋し幼時から充分會得實驗せられたことと思はれる。金剛智三藏の生家は、婆羅門族であつたか刹帝利族であつたか疑問としましても、所謂清貴の家であつたことは疑ひない。古代から印度に輩出した立法者、北方ではマヌ(Manu)ヤーヂユナ※[#濁点付き片仮
前へ 次へ
全53ページ中11ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
榊 亮三郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング