A昔も今も造船に缺くことの出來ぬテイク(Teak)と云ふ木材の産地でありましたから、レバノン(Lebanon)の山の松柏材で昔のフヱニキヤ人が船を造り、航海者として有名であつたごとく、此の國はテイク材の産地であつたから、造船術も發達し、人民は航海の經驗と知識がありましたから、金剛智三藏が將軍米准那の舟師にとりかこまれて支那に向はれたことは、大いに理由のあることであります。しかし熱帶地方であるだけに、天與の恩惠が厚いと同時に、颱風が屡※[#二の字点、1−2−22]起り、其の都度災害がいちじるしく、海は、平風恬波のときは航海には極めて安全でありますが、一旦荒れだすと古代の航海者には非常な恐怖を生じたものであつたと見えて、英領印度の南端に、コモリン(Cape Comorin)海角と申しまして梵語のクマーリイ(〔Kuma_ri_〕)と云ふ女神の殿堂の名からとつて名づけた土地があります。昔から航海安全の祈願所であります。なほ日本の瀬戸内海の航海者が讚岐の象頭山に對し、日本海の西部の航海者が伯耆の大山に對し、日米間の太平洋航海者が富士山に對するやうな信仰が印度洋の航海者にありました。普陀落觀音(P
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