て諸君の清聴を汚す次第でありますが、先づ金剛智三藏の生れ又は活動せられた南天竺摩頼耶國とは、如何なる國であつたか、また今現にあるかを申上げたいと思ひます。
摩頼耶と云ふ國名は、本來印度「アーリヤ」語族の言葉ではありません。土語で「山」と云ふ意味の語でありますが、雪山または雪藏と云ふヒマーラヤ 〔Hima_laya〕 とは言語學上何等の關係もありませぬ。此の國の廣さは時によりて大小の差はありますが、英領印度の南部で、北緯十度から十三度に亙り、東經七十三度五分から七十五度四十分に亙り、大體今の「トラ※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]ン・コール」「コチン」地方、梵語ならばトリ※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]ンダラム Trivandrum コーンカナ Konkana[#前のnは上ドット付き、後のnは下ドット付き] を包括したマラバール Malabar 梵語ならば、マラヤバーン 〔Malayava_n〕(山國)に相當する地域であります。耶蘇の弟子で一番耶蘇が生前中鍾愛したと[#「鍾愛したと」は底本では「鐘愛したと」]云はるゝ聖《セント》トーマス(Saint Thomas)一派の耶蘇教
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