求v(Gunthur)と「ネロール」(Nellore)との間にあるパラクカダ(Palakkada)と云ふ地に都がありましたから、いづれの王朝の王族であつたか判然せぬが、とにもかくにも、達磨大師は、「パツラ※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]」族の王子であつたに相違ない。刹帝利種で、金剛智三藏のやうな婆羅門族でなかつたことは明白である。其の廣州に入つた當時は世壽幾何であつたか判然せぬが、西暦紀元五世紀から六世紀に至りて、パツラ※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]種族の王には、一方では「スカンダ・※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]ルマン」あり(四百五十年―四百七十五年)、(別紙表參照)「シンハ※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]ルマン」あり(四百七十五年―五百年)、「スカンダ・※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]ルマン」(五百年―五百二十年)、「ナンデイ※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]ルマン」(五百二十五年―五百五十年)あり、他方では、「※[#濁点付き片仮名ヰ、1−7−83]シユヌ・ゴーパ」あり、「シンハ・※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]ルマン」あり、また「※[#濁
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