、佛教の僧侶を保護して、或は阿育王の建てた「ブヒルサ」古代の「※[#濁点付き片仮名ヱ、1−7−84]デイサ」(Vedisa, Bhilsa)の塔を修築し、或は諸方に洞窟を掘つて僧坊に宛て、或は盛んに佛寺を建立した 〔C,a_ta−karni〕《シヤータ、カルニ》[#nは下ドット付き] 王の名の訛略即ち「シヤーンタカ」〔C,a_nta−ka(rna)〕[#後のnは下ドット付き] であるまいかと私は思ひまするから、茲に問題になつて居りまする「パツラ※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]」王朝とは何等の關係はありませぬ。また此の王朝の特徴は、航海通商に力を効したことで、支那に於ける禪宗の始祖と云はるゝ達磨大師は香至國(〔Ka_n~ci−pura〕)の王子であつたとの事から見ると、「パツラ※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]」種族の出身と見なければならぬ。達磨大師は南北朝時代に梁の武帝の普通元年廣州即ち廣東に來たとの事であるから、西暦紀元五百二十年で金剛智三藏の入唐に先立つこと二百年であります。此の時代の「パツラ※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]」王朝は二分せられ、香至國以外に「グンツー
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