の道士等との爭を概略しか知るより外はなかつた私どもには、ツサン氏の名著で洵に精しく知ることが出來て、西藏に於ける密教の發展の徑路を髣髴と眼前に浮び出すやうに感ぜられて、室町時代の末期に出來たと思はるゝ宗祖大師の繪傳抄などと比較して、甚だ興味を覺える次第であります。其の外、内外學者の御著述など、拜讀致す毎に種々の點に於て教へらるゝこと多きは常に感謝の外はありませぬ。
唐の開元年代に出來た開元録には金剛智三藏の御出生の地は、南印度|摩頼耶《マラヤ》國(Malaya)で、三藏は婆羅門種の家に生れたとなつてあります。然るに稍※[#二の字点、1−2−22]遲れて出來ました貞元録には金剛智三藏は中天竺刹利王|伊舍耶靺摩《イーシヤーナ※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]ルマン》(〔i_c,a_na−varman〕)の第三子と云ふことになつて居ります。これによりますれば、金剛智三藏の種姓は刹帝利の筈であります。また海雲記によりますれば、南天竺の國王の第三子であつたとの事ですが、たゞ國王の子とのみありまして國王の名を擧げて居ません。海雲記は長谷大僧正の御示教によりますると、海雲は、眞如親王の師惠果阿
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