申しますから、メヂユンナと申して宜しきや、一向昔から定まりませぬ。また音譯には相違ありませぬが、如何なる國の語を支那で音譯したものかは、更に判明致しませぬ。私は今より三十餘年前、眞言宗の碩學で學徳共に高き長谷寶秀師の苦心になつた弘法大師全集を讀みまして、金剛智三藏の入唐の御事歴に附帶して、此の米准那の原音を内外學者の著述または論説を見聞致しましたが、不幸にして何等の意見を知ることは出來ませぬ。只一つの例外として茲に掲ぐることの出來るのは、佛蘭西の或る學者で、或る學術雜誌に米准那をアルヂユナ(arjuna)と事もなげに還源して、何等説明なしに日本密教のことを述べて居つたことです。なる程、准那の音は、印度密教の始祖と云はるゝナーガールヂユナ(〔Na_ga_rjuna〕)のヂユナとは聲音相邇く、また金剛智三藏を通して何等かの關係を龍樹菩薩と有して居つたと思はれぬではありませんが、此の場合に准那をヂユンナまたはジユンナとしますると、「米」の字を是非ともアルと讀まねばなりませぬ。また密教を離れて、廣く印度の普通に用ひらるる名の中で此のアルヂユナと云ふ名前程、戲曲または叙事詩に於て評判の善き名前は
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