智三藏が乘込まれたことは、米准那か又は國王の懇請に依つたもので、金剛智三藏が頼みこんだものでない事は申すまでもない。これによりて米准那の舟師の人々が、如何に心強く感じたかは蓋し想見に餘りあると想像せられます。要するに、此の遠洋航海に於ける將軍米准那の舟師に對しては、金剛智三藏は希臘羅馬の古代宗教の語を借りて云へば、クリマルク(Klimarque)の位置に居られたものであります。別に古代希臘の宗教の用語から援引しなくても、宗祖大師が大唐より歸朝の途中に於ける波切不動の勸請の話や、慈覺大師が同じく歸朝の途中山東沖で赤山神社の祈誓の話などを讀んだ方々は、當時の航海者は、密教の高僧に如何なる期待を持つて居たか判明する。また壬生狂言で源頼光が大江山の鬼退治に出掛くる一行の科を見た人は、かの狂言製作當時の京都人が、如何に密教の護持者に對し信頼の念が薄かつたかと知るでありませう。これに反して謠曲の船辨慶を御記憶の方は、「辨慶押しへだて、打物業にては叶ふまじと、珠數推もんで、東方降三世南方軍※[#「咤−宀」、第3水準1−14−85]利夜叉西方大威徳北方金剛夜叉明王」云々を御想起せらるれば、かの謠曲製作
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