か苧か楮か知りませぬが、とにかく、纖維工業に必要な植物の培養に適した地方であつたことは、建國の始め、天富命が天孫の命によりて此の地方に楮麻を植ゑられたと云ふ史實からでも推定出來ます。此の地方を「プサガミ」「プサシモ」と昔から區分して名附けましたところ、いつしか、「プサシモ」の「モ」が發音せられずになりまして、其の鼻音性だけを初めの「プ」の音に添加しましたから、同じく唇音ではあるし、其のうへ鼻音性が加はつたものですから「プ」は「ム」となりました次第で、これに類似した音を漢字で武と藏とを配しましたが、「サウ」と音こそあれ、如何に考へても藏字に「サシ」と云ふ音がありませぬ。しかし昔から實際の發音は「ムサシ」で、神代ながらの「プサシモ」の俤を保有して居ります。次に相模の國名でありますから、武藏の國名がもと「プサシモ」であつたにむかへて、「プサガミ」でありましたが、いつしか最初の音の[#「音の」は底本では「昔の」]「プ」が呼稱の便利から消滅して、「サガミ」とのみ呼ぶやうになりました次第であります。以上は言葉の初めと終とが省略せらるゝ好適例として掲げましたが、場合により中間の音が變化し、又は省略せらるゝこともあります。上總と下總との國名は好適例であります。これは、もと/\「カミプサ」と云ひ「シモプサ」と呼んだことに相違ありません。然る處「カミプサ」の場合には、第二位の「ミ」は、いつしか單に鼻音化せる母音となり、これに影響せらるゝ第三位の「プ」は、第四位の「サ」の摩擦音の硬音性にも影響せられ結局以[#レ]和爲[#レ]貴とあつて、第二位の「ミ」から軟音性をとり、第四位の「サ」から摩擦音性をとりて結局「プ」の音は軟音の摩擦音即ち「ズ」となつたものと思はれます。下總の國名の場合には、今日の實際の發音は「シモーサ」で、先年文部省で制定した字音假名遣の[#「字音假名遣の」は底本では「字音假名遺の」]棒引法では、洵によく現實の發音が寫されて宜しきやうでありますが、民間ではやはり「シモフサ」と書きまして今日に至つて居ります。半濁音の性質を失つただけで、やはり民間の假名遣法には神代ながらの俤を保存して居ることには、私ども老人には何となく嬉しき心地があります。
私は金剛智三藏や將軍米准那のことにつきて講演致しながら、何等これと關係のなき「プサ」の國の由來を持出して、長々しく諸君の清聽を汚した事を恐縮致して居りまするが、また一方ではあながち金剛智三藏や米准那と、日本の東部の江戸灣、靜岡灣即ち富士の靈峰が、朝日の光を受けて影を太平洋上になげる地方のこととは無關係であると斷定出來ぬと思ひます。甚だ牽強附會のやうでありますが、金剛智三藏が開元七年または八年、長安に入り、二十九年入寂せられるまでは約二十有餘年間ありますが、其の間は日本に於て、開闢以來と申しませうか、建國以來と申しませうか、とにもかくにも、古より未だ曾てなき文化事業が經營せられ、完成された時代で、日本が支那を介して印度または西域の文化を吸收するに最も力を効した時代でもあり、また支那人の間には日本を認めて、日出の國、義和が建てた國だと信ぜられ、神仙の棲遲する國、長生不死の靈藥の生ずる地域であると信ぜられたのみならず、航海者として支那海に往來する西域の船舶が、日本または朝鮮に潮流の工合に漂着した事もあり、殊に東大寺落慶の齊會または庭儀に參列した樂人の中には林邑即ち今の佛領印度の南部、コシン、チヤイナに國を建てた占城の樂人も居つたことを見ると、これらの國から乘つた人々の船舶は、支那の船舶のみであつたとは信ぜられませぬ。昔から、支那の書物に著はされてある扶桑の國の位置は、もし架空の神話からでなく幾分の現實性ある知識から出でたものとすれば、富士の靈峰が太平洋の清波に影を投ずる地方即ち昔時のプサ國でなければなりませぬ。今日に於てもアイヌ語でプサと云ふ語が存在して、麻苧のことを意味して居りますが、此の語は、アイヌが本來の語であるか、或は天富命に從うて、江戸灣、靜岡灣一帶の地に楮麻を植ゑた大和民族の言葉から借り用ひたものか、否やの問題に至りては暫らく後賢の研究を待つことにいたします。
將軍米准那の舟師を支那に遣はした南印度の王は、捺羅僧伽補多跋摩《ナラシンハポータ※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]ルマン》と云ふ名の方で、跋摩(鎧)と云ふ語で終つてあり、正眞正銘の刹帝利種である事が明白であるのみならず、またパツラ※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]族の王者であると云ふ事も判明して居ります。また捺羅僧伽《ナラシンハ》は、韋紐天第四の化身の名であります。即ち人身獅頭の化身で、惡鬼を退治せんため天より下界に降臨した韋紐天の名をつけたものでありますから、正眞正銘の印度アーリヤの信仰を持つた王者であつた事はこれでも知れま
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