き語はなきかと云ふと、本來の波斯語には見當りませぬが、亞剌比亞語の「アミール」又は「ヱミール」から轉訛して、波斯または土耳其の語となつて居る「ミール」と云ふ語があります。これは一番適當な語であります。米准那と續けて發音しますると、「ミール、ゼーダ」「ミール、ザーダ」で、公子公孫の意味の言葉ともあり、將軍の子、方伯連帥の子などの意味を標幟する尊※[#「禾+爾」、第4水準2−83−10]ともなりまして、中世波斯の文學中には人名として時々見當りまするのみならず、今日でも回々教徒の間に使用せらるゝ姓字であります。元來亞剌比亞語の「アミール」(Amir)又は「ヱミール」(Emir)の語は、將帥方伯・宰相等すべての文武の大官を示す語でありまして、後には實職なき人々でも、身分の高貴を標幟する尊稱に用ひられましたが、實職實務のある人々には、其の官職の名稱を此の語に附着さして呼ぶのが本筋でありました。例せば水軍の司令官でありましたら「アミール、アル、マ」(Amir al ma)とか「ヱミール、アル、マ」(Emir al ma)と呼んだもので、いつしか最後の「マ」の字を略して、「アミラル」とか「ヱミラル」と云ふ風になりまして、「サラセン」帝國の文化が地中海沿岸の諸國に光被し、其の武力が海陸共に基督教國の人民王侯を威壓した時代には、基督教國の陸海軍の將帥は自國語で呼ぶ官職の名を捨てて、喜んで「アミラル」(Amiral)又は「ヱミラル」(Emiral)の稱呼を用ひたものであります。佛蘭西の國王路易九世(Louis IX)の時代には、陸軍の將帥が「アミラル」の號を用ひました例があります。今日の歐米各國で、海軍の將帥を「アミラル」と云ひ又「アドミラル」と云ふは、「サラセン」帝國の國威の旺盛なりし頃、後進の基督教國の國々が其の後塵を拜して名實共にこれに模倣した遺風であります。因に申しまする。英語で「アドミラル」と云ふときの「ド」の音は、もとたゞ「ア」を促《つめ》て短く發音さす爲にいつの世にか添加せられたもので、拉丁語の「アトミラーリス」と云ふ形容詞とは何等の關係があつた譯ではありませぬ。又「アミール」と云ひ「ヱミール」と申しまするは、畢竟亞剌比亞語の發音は、日本語の「ア」でもなく又「ヱ」でもありませぬから斯く二樣に發音致しましたので、もともと一つのものを云ふのでありますから、二つの異つた官名または尊稱を云うたのではありませぬ。恰も英語で「a」を書いたり、佛語で「e」を書いたりすると同樣であります。
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 話は岐路に向ひましたから、本筋に戻りまして、米准那即ち「ミール、ゼーダ」の言語は、中世の波斯語または亞剌比亞語でありますから、今日では最後の音のダを通例省略致しまして、「ミール、ゼー」又は「ミール、ザー」と申します。印度の宗教都市で一番有名なる、「ベナーレス」(Benares)梵語で申しますると「バーラナシイ」の南西の方角に當りまして大約日本里數で十五里許りの地に「ミールゼープール」(Mirzapur)と申す都市があります。陶器の産地で、人口が六七萬位の小都市で、格別取立てて申上げる程の都市ではありませぬが、其の名は、公子または公孫の都市と云ふ義であります。「プール」は新嘉坡の坡と同じく、都城と云ふ梵語から來た言葉で、其の前に來る「ミール、ゼー」は「ミールザーダ」又は「ミール、ゼーダ」の「ダ」が省略された結果であります。其の他、印度及び波斯の人名または地名で、此の語を前節に用ひ、後節に邑落、都市の義を有する名詞を用ひた例は少くありません。
 かく説き來れば、諸君の中には或は疑惑の念を起さるゝ方も皆無ではありますまいと存じます。先づ第一に起りさうな疑念は米准那の「米」字は、亞剌比亞語の「アミール」又は「ヱミール」に起源を有する「ミール」の音を寫したとして、如何なる次第で最初の「ア」又は「ヱ」は省略せられて單に「ミール」となつたかと云ふことでありませう。これは「ミール」の聲音を強く力を入れて發音せねばなりませんから、自然最初の「ア」又は「ヱ」は省略さるゝに至つた譯で、殊に准那と云ふ語の發音を後に控へて居りますから、なるべく發音し易く、簡易に發音出來るやうに、最初の「ア」又は「ヱ」を省きたものと思はれます。第二には、然らば最後の「ダ」を何故に省略するに至つたかと云ふ疑念でせう。これも「ヱミール」の場合と似て、「ゼーダ」又は「ザーダ」の「ゼ」「ザ」を強く力を入れて發音せねばなりませぬから、所謂勤勇所要の勞力を儉約せんがために遂に「ダ」の音を省略したのであります。かゝる現象は、我が國の言葉にでも屡々見受けられます。一例を擧げますれば、國名の發音に於て、武藏相模の場合です。此等の地方は上總下總などの國名に於てなほ見らるゝごとく、「プサ」と云ふ、麻
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