提督閣下、アドミラル閣下の名稱に對し、たとひ音譯とは云へ、女の「アダツポイ」ことを形容するに用ひる娜の字を使用するやうな失禮なことはなかつたかとも云へます。次は「准」の字であります。元來、此の字は準の字の俗字で、我が國でも、准后とか、批准とか、准許とか、准之とか云ふ場合に於けるごとく、「なぞらへる」「ひとしくする」「ゆるす」など云ふ意味のときは、「ジユン」と發音致します。かゝる場合には、支那では、上聲に發音します。然れど、もし鼻と云ふ意味に用ひますときは、必ず入聲に發音致しまして、「セツ」と發音せねばなりませぬ。例せば隆準龍顏《リユウセツリヤウガン》などと云つたり、隆準而《リユウセツニシテ》有[#(リ)][#二]日角《ニツカク》[#一]など云うて、支那の史官が西漢の高祖皇帝や東漢の光武皇帝の容貌を形容する場合の準は必ず入聲に讀みます。金剛智三藏が支那の洛陽で入寂してから十五年目に、孫孝哲と云ふ安禄山の武將が、長安で唐の宗室の人々を虐殺した有樣を目撃して、杜甫が漢を借りて唐を歌うた哀王孫の詩の中に、高帝子孫盡隆準[#「高帝子孫盡隆準」に白丸傍点]と云ふ句がありますが、これも準の字を入聲に讀んだ一例です。准那の二字を「ヂユンナ」又は「ジユンナ」と發音しても、何の意義をも發見出來ぬとすれば、發音を變更して「セツダ」又は「ゼツダ」と讀むより外に讀方はありませぬ。然らば斯く讀みて、何等か意味が發見出來るかと申せば、それは出來ます。これは中世波斯語の「ゼーダ」又は「ザーダ」(〔Za_da〕)で、生れたるもの、子または孫、と云ふ意味の言葉の音に相當致します。語源から申しますれば、梵語の 〔ja_ta〕 と同じき起源を有するものであります。
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かくの如く准那の二字は波斯語系の言葉の「ゼーダ」又は「ザーダ」の音譯であるとして、然らば「米」の字もやはり波斯語系の言葉の音譯であるかと云ふと、左樣容易くは參りませぬ。漢晉以來唐に至るまで、西域東陲から支那に歸化した外人は多くありまして、其の姓氏は或は出身郷土の名をとり、又は職業官爵等の名から採用したものが多くあります。米姓のものも晉唐の時代にはちらほら歴史上に見受けまするが、さほどに多くはありませぬ。是等の姓名の起源に關して、今は故人となりましたが、私どもの畏敬の友人の一人で、諸君も中學の東洋史で御眤みの桑原隲藏博士が、「隋唐時代に支那に來住した西域人に就いて」と云ふ論文を昭和二三年頃に發表し、私も其の論文の別刷を博士から頂戴致して居りますから、諸君の中で密教の研究史上東洋一般のことが知りたいと思はるゝ方は是非一讀を願ひたいが、桑原博士の論文中には、今日講演の問題となりて居る米准那のことは何等の記載もなく、隨つて研究もありませぬ。しかし其の他の點では、私共の蒙を啓くことが多くありまして、流石に生前中は、東洋史專攻の人々から泰山北斗の如く仰がれただけあります。亡友に對する感想の發露はやめに致しまして「米」の字の研究にとりかゝります。
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「米」(イ)此の字を國名にした國が、中央亞細亞「サマルカンド」の東にありました。彌秣賀と云ふのはこれであります。唐代ではこれを「米」國と申しましたが、これは彌秣賀の初の字彌の音譯か、また全部の字の義釋であるか判然しませぬが、ともかくも、唐代ではこの國を「米」國と云つた例から見れば、米准那の三字は、「米國生れ」と云ふ義になります。即ち、中央亞細亞の一小國で何等海洋に縁故のない國に生れて、南印度の國王に仕へ、其の舟師を率ゐて支那に向つた將軍の姓名としては、如何にもふさはしくない樣な心地は致しまするが、かゝる事は絶無とも云へませぬから一概に否定出來ませぬ。
(ロ)次には、支那には用例はありませぬが、准那の二字が波斯語系の語の音譯であるに適合せんがため、同語系の語で、「米」字の音に邇く且つ姓字に用ひられた例もあるものは、宿曜經などに「蜜」と音譯してある、中世波斯語「ミール」(Mihr)であります。太陽または日の波斯語であります。これならば、かの世親菩薩が教育したと云はるゝ幼日王《バーラーデイテイヤ》と對して、印度中原の鹿を爭うた「マヒーラ・クラ」又は「ミヒラ・クラ」又は「ミヒル・ゴラ」王の姓名の一部をなすものであるから、准那と連ねて讀むと、「ミールゼーダ」と云ふことになり、太陽の子、日の御子、又は日曜日に生れたる子などの解釋が出來て、如何にも將軍、水師提督、「アドミラル」閣下の姓字として適當のやうでありますが、如何にせん、かゝる姓字または名稱は中世波斯の文學には見當りませぬ。
(ハ)中世波斯の文學にも人名としての用例があり、支那人の加へた將軍の二字にもふさわしく、水師提督の身分經歴門地などを表幟するに足る語として、「米」字の發音に邇
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