覧F達にとりまかれてゐる自分を見出した。彼はどの一人も好きな気がした。間もなく、その中では一きわ美貌な、悧巧でおしやれな一人へ特に惹かれる心をみた。その女も呂木を憎んでゐなかつた。呂木は激しい恋情に溺れやうとするとき、のつぴきならぬ退屈を感じ、身も心も投げ出したい落胆を知つた。彼はいそいで出奔して、まるで身体が旅愁のやうな、狂暴な感傷にふるへながら、軌道を忘れた夥しい決意を噛みつづけて彷徨ひ歩いた。三週間。春風と、うらぶれた耀やきのなかに山や海や、潮音のざわめきをもつ見知らぬ街が止み難い癇癪を植ゑて流れ去つた。
 呂木は不思議な陽気さで帰京すると、醜いそして世帯持ちの良ささうな二十六の娘へ、唄ふやうな気楽さで結婚を申込んだ。
 呂木は心に泣き、呂木は苛酷な神様を愛しはぢめた。女中の質素と従順をもつ素朴な妻は呂木を熱心に愛した。呂木は女を愛したいと思はなかつた。そして、自分の愛さないものが、愛すことのできないものが、最もいぢらしいのだと思つた。ちやうど、生きてゐることのやうに。
 とある平和な夜更け、妻が泣き出した。そして呂木も泣いてゐた。彼は神様を愛すやうに妻を愛してゐる自分を発見して
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