るなぞとファルスは決して言ひはしないが。又、例へば、ファルスの人物は、往々、「拙者は悲惨だ、拙者の運命は実に残酷である――」と大いに悲歎に暮れてゐる。ところがファルスの作者達は、さういふ歎きに一向お構ひなく、此等の悲しきピエロとかスガナレルといふ連中《てあい》を、ヤッツケ放題にヤッツケて散々な目に会はすのである。ファルスの作者といふものは、決して誰にも(無論自分自身にも――)同情なんかしやうとはしないものだ。頑として、木像の如く木杭の如く、電信柱の如く断じて心臓を展くことを拒むものである。そして、この凡有ゆる物への冷酷な無関心に由つて、結局凡有ゆる物を肯定する、といふ哀れな手段を、ファルス作家は金科玉条として心得てゐるだけである。
 一体ファルスといふものは、何国に由らず由来最も衒学的(出来損ひの――)なものであるが、西洋では、近世に近づくに順《したが》つて、次第にファルスは科学的に――と言ふのもちと大袈裟であるが、つまりファルス全体の構成が甚しくロヂカルになつてきた。従而、その文章法なぞも、ひどくロヂカルにこねくり[#「こねくり」に傍点]廻された言葉のあや[#「あや」に傍点]に由つて
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