揚しなければ文学とは呼ばない習慣になつてゐる。写実を主張した芭蕉にしてからが、彼の俳諧が単なる写実でないことは明白な話であるし――尤も、作者自身にとつて、自分の角度とか精神とか、技術、文字といふものは、表現されるところの現実を離れて存在し得ないから、本人は写実であると信ずることに間違ひのあらう筈はないけれども――斯様に、最も写実的に見える文学に於てさへ、わが国の古典は決して写実的ではなかつた。
 又、「花伝書」の著者、世阿弥なぞも、写実といふことを極力説いてゐるけれども、結局それが、所謂写実でないことは又明白なところである。私は、世阿弥の「花伝書」に於て、大体次のやうな意味の件りを読んだやうに記憶してゐる。『能を演ずるに当つて、演者は、たとへ賤《しず》が女《め》を演ずる場合にも、先づ「花」(美くしいといふ観念)を観客に与へることを第一としなければならぬ。先づ「花」を与へてのち、はぢめて次に、賤が女としての実体を表現するやうに――』と。
 私は、このように立派な教訓を、さう沢山は知らない。そして、世阿弥は、この外にも多くの芸術論を残してゐるが、中世以降の日本文学といふものは、彼の精神が伝承されたものかどうかは知らないが、この、「先づ花を与へる」云々の精神と全く同一のものが、常に底に流れてゐて、鋭く彼等の作品に働きかけて来たやうに思はれるのである。俳諧に於ける芭蕉の精神に於ても其れを見ることが出来るし、又、今この話の中心である戯作者達の作品を通しても、(狂言は無論のこと)、私は此の精神の甚だ強いものを汲み取ることが出来るのである。
 尤も、この精神は、ひとり日本に於て見られるばかりではなく、欧洲に於ても、古典と称せられるものは概ね斯様な精神から創り出されたものであつた。単なる写実といふものは、理論ではなしに、理窟抜きの不文律として、本来非芸術的なものと考へられ、誰からも採用されなかつたのである。近世たまたま、芸術の分野にも理論が発達して理論から芸術を生み出さうとする傾向を生じ、新らしい何物かを探索して在来の芸術に新生面を附け加へやうと努力した結果、自然主義の時代から、遂に単なる写実といふものが、恰もそれが正当な芸術であるかのやうに横行しはぢめたのであつた。
 この事は単に文学だけではなく、音楽に於ても、(私は音楽の知識は皆無に等しいものであるが、素人《アマチュア》として
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