やうな狂乱が、湧き起るのであつた。怪しげなてあひ[#「てあひ」に傍点]によつて嵐の如く吹きあげられる一日の酔気が、恰も朦朧とした靄となつて部屋の四隅に彷徨ひ流れ、莫大な面積をもつ変な爛れがチクチクと酔ひ痴れた頭を刺す刻限になると、誰といふこともない、突然誰か先づ一人が立ち上るのだ。そして――
「おお、星の星よ、樹の樹、空の空、娘の中の娘であるクララよ! 拙者の魂はお前の可愛らしい足もとへ捧げられるために、いかばかり此の一日を清らかに用意されたことであらうか!……」
 彼は出鱈目な言葉を敬々《うやうや》しく呟き終ると、やにわに彼の心臓へ手を差し入れて魂を掴み出さうとするのである。すると――魂がなくなつてゐる! 彼は慌てて胃嚢《いぶくろ》を探しはじめるのであつたが、次第に苛立たしげに狼狽を深めて自分の耳を引つ張つたり舌を出して撮んだりポケットを探したり靴を脱ぐとガタガタ揺さぶつたりしてゐるうちに、皆目見当を見失つてワア――落胆して口をパクパク言はせてゐるが、遂ひに猛然として気狂ひのやうに部屋一面を走り初め、空気の中から彼の魂を握《つか》み出さうとして激しく虚空を掴むのであつた。
「お、おれ
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