に躍りかかつて――博士は稀に見る小男であつたから、僕の頸に左手を巻き僕の腿に両脚を絡みつけて、丁度木立にしがみついた蝉の恰好になるのだが――右手でギュッと僕の鼻先を撮《つま》みあげると渾身の力を奮ひ集めてグリグリぐりぐりと捩ぢ廻したのであつた。ヤッ! 掛声諸共博士は遂ひに僕を道路へ捻り倒し、クシャクシャに僕を踏み潰して、全く其の場へのしちまふと、いい心持にシルクハットを深く阿弥陀に被り直して「エヘヘン!」と反り返つた。
「実に怪しげな奴ぢやアよ! 憎むべき存在ぢやわい、坂口アンゴウといふ奴は! 万端思ひ合はせるところ、かの地底を彷徨ふ蒼白き妖精《グノーム》、小妖精《リュタン》の化身であらうか。はてさて悩ましき化け物ぢやアよ!」
ポン! と僕のドテッ腹を小気味よく蹴り捨てて、博士はプラタナのあちら側へフラフラと消えて行つた。僕は全く人通りの杜絶えた並木路にブッ倒れて、暫しの間ひやひやした綺麗な星空を眺めてゐたが、どうやら疼痛も引き去り身動きも出来るやうになつたので、頑固に決意を堅め霓博士の邸宅へとプラタナの闇を縫ひ乍らフラついて行つた――
何か面白い事件があるのだ、と予感がしたからであつた。あんなに猛り立つのは確かに訝しい。……最近博士は変な具合に僕を憎みはぢめたのだ。僕の顔を見さへすれば、急にグルンと眼玉を据え、忽ち闘志満々とボクシングの型に構えて、「お前は悩ましき悪漢ぢやアよ! 平和なる団欒を破壊するところの蒼白き妖精ぢやアよ! 又、メヒストフェレスの出来損ひであらうか!」――あまりただならぬ物凄さに僕もいささかドキンとして多少とも陳弁の形を取らうとする時に、「こいつ――」博士は突然ブルン! と一本の真空を描いて僕の胸に絡みつき、鼻をグリグリと捩ぢあげてしまふのだ。ところで又、学校で、博士のクラスへ出席する程僕に悲惨な境遇はなかつたのだ。このクラスでは僕のみ唯一人が学生であつたから、厭でも前列の中央へションボリ坐らねばならなかつたが――博士は教卓の陰へ危ふく沈没しさうな矮躯のくせに厭に傲然と腕を組み、実に陰険に僕をヂロリと睨まへて「学校へ出席する学生は余程低能な奴である」とか「気の利いた学生は街から街を流して歩いて学校へは出ないものだ」なぞと皮肉り乍ら、凡そあらゆる恐喝の限りを尽すのである。
「坂口アンゴウは落第ぢやアよ! わしの辞職に賭けても教授会議で主張す
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