経衰弱の角度から僕の憔悴した蒼白い顔を観察しはぢめたものらしい――暫くして、絞めつけられた鶏のやうな呻き声をあげた。
「プープープー、それは甚だ宜しくなアい!」
 霓博士は暗澹とした顔をヂッと僕に向け合せて、殆んど同情のあまり今にも涙の溢れ出るやうな親密な表情をした。そして若し、博士の言葉がものの十秒も遅れて発音されたなら、僕は博士が発狂したものと感違ひして、恐怖のあまり突然窓を蹴破つて一目散に逃走してゐたに相違なかつた。
「ワシも長いこと神経衰弱に悩んどるウよ」
「ア、ア。そ、そうでしたか――」
「キミは睡眠がとれるかアね?」
「駄目です! ああ、駄目々々! 実に悲惨なものです。毎夜々々ふやけた白い夜ばかりなんですが! ああ!」
「ワ、ワシも、ワシも、ワシも悲惨――う、ぶるぶるぶるう――ワ、ワシもワシも白い夜ぢやアよ!」
 博士は殆んど悲しみのあまり今にも悶絶するところであつた。そして劇しく咳上げはぢめ胸を叩いて※[#「足へん+宛」、第3水準1−92−36]《もが》き苦しむものだから僕が慌てて介抱したら、博士は胸に痙攣を起して見ぐるしく地団太踏み乍らも、眼玉の動きや手の振り加減によつて其れとなく僕に感謝を表はすために、尚忙しく廻転しはぢめたのであつた。――斯うして僕と霓博士は、忽ち友情の頂点に達したもののやうであつた。僕達は各自の処分に就て腹蔵ない意見を披瀝し合つたり、憂はしく嘆き合つたり慰め合つたりした。そして僕が僕の身辺に垂れこめてゐる怪しげな妖気に就てつぶさに辛酸の由来を語ると、博士は又、自分は最近讃嘆すべき麗人と結婚したのであるが、その麗人はまだ至つて少女であるために自分を激しく愛撫することを知るのみで神経衰弱に対しての理解に乏しいから、自分の神経衰弱は結局、永遠に癒る時はあるまいと語り、悩ましげに溜息を吐いてゐたが、又突然深い満足の微笑をニタリニタリと合点々々頷き乍ら洩したのであつた。そして、僕は其の時ハッ! と衷心より博士は気の毒な人であると思ひ、この人を倖せにするためになら此の上さらに僕の神経衰弱を深めることも厭はないであらうと思ひ当つて、ヂッと一本の指を噛み乍ら太い溜息を洩したりして真剣に知恵を運《めぐ》らし初めたのであつた。そして――
 あの、森の酒場を突然彷彿と思ひ出したのであつた――
 広漠として殆んど涯も知れないその森の入口に一軒の酒場が立
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