チラチラ視線を向けていた。体格がよくて、肉の厚いサシミみたいな胸のもりあがった娘であるが、シャクレた生意気な顔付で、男をみるとき動物みたいな険しい目をした。二三年間ぐらいは都会で生意気な生活をしてきたような感じであった。
娘は待っていましたと言わぬばかりにうなずいた。腕をくむとワキガの匂いがプンと鼻をつく。汗ばんでいるのだ。
「君は戦争中は東京の工場へ徴用されていたな。当ったろう」
女は首を横にふった。
「戦争が終ってから一年ぐらい行ってたのよ。それまでは田舎の工場で働かされていたの。戻らなきゃよかった。又、東京へ行きたいのよ」
「行けばいゝじゃないか」
「当《あて》がないもの」
「東京の何がたのしかった?」
女はそれに返事をしなかったが、
「あんた、いずれ東京へ行くでしょう」
「どうだか。オレこそ何一つ当がない。何をすりゃいゝんだか、分りゃしない」
女は貞吉の気持なぞには取り合わず、
「あんた上京するとき、誘ってね」
そしてウインクした。
村のマフラーのアンチャンが別の女と踊りながら、「今度な」と女の肩をたゝいたから、貞吉はそれで別れて帰ったが、帰るときも、マフラーの男の胸の中からウインクして、手をふって合図をした。
この山奥の娘が! ウインクという奴は日本はおろか東洋の性格にもないけれども、これをこの山奥の日本娘が突然やっても、ともかく板についている。シンガポールのパンパンやサルウィン河の娘がやっても板につくに相違なく、これはつまり国籍に属するものじゃなくて女の淫蕩と獣血に属するものなのだろう。
東洋を股にかけて人種の間をうろついてきた貞吉は思えば異常という感なしに、素直に受けいれられぬ風物であった。まったくそれは風物だ。戦争と兵隊がそもそも風物で、貞吉はその戦争と兵隊の時間のうちに、古さとすべて過去というものを、みんなを忘れてきたような気持であった。
彼はさっそく明日からあのチンピラを呼びだしてアイビキしたいと考えたが、住所も名前もきゝ忘れた。仕方がないから、それを突きとめるのを明日からの日課にしてやろう。差当ってそんなことをする外には、これと云って何をする目当もなかった。
長兄の正一郎が戸主であるが、この男は昔から兄弟の情などなくて、物質万能の生れつき。田舎の旧家の長男にはこんなのがタクサンあり、生れながらの金庫の番人というような性格で、自然にそうなるものらしい。二男三男などゝいうものは、コクツブシみたいなもの、いくらかでも分禄しなければならないだけ家産の敵みたいなもので、戦国時代と違って矢を三本合せる必要はないから、邪魔になるばかりである。
貞吉はそういうことは出征前から心得ていたから、生きて還ったところで、歓待を受ける筈はない。生きて還るとは、おはずかしい。まことにテレクサイ思いで借金の言い訳に来たようにして生家へ戻ってきたから、万事案の定という奴で、いさゝかも驚かない。追いだされるまで居る気なのだ。それだけのことだ。
けれども伏兵がひとりいた。これは二番目の兄で幸蔵というのだが、満洲から妻子六人ひきつれて、ころがりこんだ。無一物、家どころか、フトンもない。引揚げて生家へころがりこむのは自然であるが、正一郎の考えでは自然ではない。かりにも分家分禄したのだから、生家というものは、もはや特別の何物でもない。分家というものは死んでも生家の墓へは入れぬ。つまり独立した別の一家であるからで、分家には分家の墓を起さなければならないように、わが住む家を失ったから、生家へもどるという性質のものではない。
おまけに妻子六名もつき従っており、これがみんな栄養失調の気味で、やたらに食い倒す。もちろん別々の配給生活にして、大根一本やらないけれども、同じ屋根の下にいるから、子供たちは、こっちの物を盗み食いする。野良犬、野良猫と変りはない。それを人間の子供のように待遇するのは、まことに不快な問題である。
住む家はなくとも甲斐性ある引揚者は戦災学校の窓のないコンクリートにむしろを敷いて雄々しくやっているではないか。それだけの甲斐性もないオヤジの子供だから、盗みをする。どうせ盗癖のある子なら、大阪にはスリの学校というのがあるそうだから、そこで修業させて、親を養わせるがよい。
正一郎という立派に経済科出身の学士が、誇張じゃなしに、こういう思いきったことを言う。シャイロックぐらいに思いきって徹すると、愛嬌のあるところもあり、モヤのかゝったところがないせいか、不潔でないような受けいれ方ができる。
とうとう幸蔵親子七人を土蔵へ閉じこめてしまった。土蔵も二つあるが、幸蔵の住宅になった方は破れて使い物にならなくなった方で、石ウスだの一斗釜だのという置き場にこまる邪魔物の外は置いてない。畳も敷いてないところへ追いやって、内部
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