キアップをして、中には着物を洋装に着代え靴まではきかえて出てくるのがある。
若い男は大半背広に、頭にポマードを壁のように光らせて、云い合したように頸《くび》にマフラーをまいている。
劇団の女優や踊り子たちが、疲れていますからお先に失礼と若い団員にまもられて帰って行くのを、村の青年たちは、ヨウ色男、うまくやってやがんナ、喚声をあげて窓から見送る、娘たちまで、ワーイ、おたのしみ、チェッ、やかせやがら、戦争中軍需工場でみんな半可通の都会ぶりを身につけている。
ジャズバンドと一緒に劇団の団長夫婦が居残って、苦々しげにダンスパーテーを見ていたが、
「どこの村もこんなものですか」
貞吉が話しかけると、昔はケンカで売ったような、五十がらみの六尺ちかい精悍な団長が意外に恐縮して、
「いや、どうも、御時世です。ところによって違いがありますが、まア、だいたいは、こんなものですなア。平地の方じゃ普通ですが、山地では、こゝは珍しい方でしょうな。私ども元々春から秋までは在方の百姓ですが、然し、この一座を組織してから、私が二代目の団長で、かれこれ三十年ちかくなります。昔は私どもが農村のヤクザのように言われたものですが、今では、私どもが一番の昔者でして、私どもは親きょうだい、いとこ、たいがい親類同志みたいなもので、それぞれ団員同志結婚したりイイナズケがきまっておりますから、まるで、もう、御時世に合わなくなってしまいましたよ。この節では、在所の顔役よりも、青年会のあたりまえの連中がインネンをつけにやってきますな。それでも、こうして、娘の相手に不自由がないせいで、私共も商売安全というものでさ」
貞吉も、もう二十九であった。青年たちは二十五六が大将株で、十七八の小倅《こせがれ》まで、背広にクワエ煙草というアンチャンの方式通りの姿であった。
貞吉は失われた年齢を考えた。然し、特別に悔いのある年齢でもなかった。サルウィン河の河の色を思い出す。密林の息たえそうな孤独を考える。あの熱帯の濃厚な色調にはいつも自分をつゝんでくれていた懐しい情慾があったような気がする。まだ雪は降らないが、もう年も暮れようとする山国は寒々とうらがなしい。若者たちの狂躁は雑然騒然、体をなしていないが、まったく、熱帯の密林よりも原始的に見えてくるのは、なぜだろう。
サルウィン河を渉《わた》る兵隊たちには、九州の床屋もいたし、名古屋の坊主もいた。北海道の百姓もいたし、伊勢の客引きもいた。職工も土方もバクチ打もいたのだ。この村の若者も北京に暮し、広東で鶏を盗み、アンコールワットを見物し、まったく村の生活のスケールをはみだして暮してきたに相違ない。女どもだってそうなんだ。名古屋の軍需会社の庭土の上へ伏せて、自分の隣の女工までは吹きとばされたりハラワタが飛び出ていたりした。同じ会社の社員と熱海へアイビキに行ってきたのもいるし、待合で芸者の代りに課長を接待し、いつも絹布のフトンにねむったわよ、という娘もいた。
山河は昔ながらでも、若者たちは雑然と体をなさゞる何物かであるという外に、何物でもない、というのが当然に思われる。然し、村の小学校の講堂で、ともかくジャズバンドの演奏につれて芋を洗うように組つき合ってゴロゴロのたくりまわっている男女たちは、まるで土の中の野菜が夜陰に一堂に会して野合にふけっているような感じであった。
兵隊と戦争、貞吉の見て生きてきた戦争の風景や生態も原始そのものゝ感じであったが、然し、戦争と兵隊もこれほどまでに原始的であったことはない。貞吉もサルウィン河のほとりで土民の娘にたわむれて来たが、そして、そこにはジャズバンドも、電燈すらも、女には紅も着物すらもなかったが、動物や野菜の野合よりもチョット人間的な、小さな虚無と詩があったような気がする。
然し、貞吉は野菜の組うちを憎む気持はない。反撥も怒りもない。すこし、同化しにくゝ、むずかゆいような気がしたが、百姓だの八百屋だの郵便配達だの坊主だの女工だの、小さな自分の生活範囲、二里四方ぐらいの空間に限られた世間の外には考える生活もなかった人々が、自分の意志とは関係なしに北京だの上海だのマニラだのシンガポールという人種の違う国へでかけて、勤労とか経済とか生計という当然の生活通念もなしに漫遊旅行をしてきた。そういう洋行帰りというものが、こんな風になるのも別におかしくはない。そうして、洋行さきのどこにも無かった形のものが、キノコみたいに、珍妙な恰好でこんなところへ出来上ったというのだろうか。まったくこんなキノコは貞吉の洋行さきのどこにもなかった。そのバカバカしさは彼を愉快、陽気にさせる性質のものだった。
「あ、おい、君、ちょっと。オレと踊ろうや」
と貞吉は一人の女を呼びとめた。
この娘はさっきからチョイ/\貞吉を意識して、彼に
前へ
次へ
全10ページ中2ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
坂口 安吾 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング