「キサマの性根は、まがりくさって治らんから、たった今、ヒマをやる。トメもヒマをやる。これにこりて、警報が鳴ったらアカリを消せ。一億一心ということを考えれ」
 こう申し渡して、ヒマを出した。
 彼は尚、妻子、子供、衣子だけひきとめて、
「お前らは今後心を入れ換えて時局を認識しなければならん。女中も下男もいらん。炊事も自分でやる。風呂もわかす、戦地の労苦をしのべば何事でもやれる。一つの握り飯でも、感謝の心をもって、食べねばならん。不平を言うことは許さぬ。上官の命令には従わねばならぬ。この家にあってはオレの命令は至上であるから、それに従う、返答しても、いかん、生殺の権もオレにある。食事でも、オレが命令して食べてよし、というまで、食べてはならんぞ」
 戦争が済んで、民主々義ということになった。
 若い者は兵隊に行き徴用に去り、残っているのはオイボレ共ばかりであるから、時局の認識を知らん。戦争中は戦争を知らん、敗戦後は敗戦を知らん。然し若い奴らは戦地で又工場でタタキ込まれているから、若い者が帰ってくれば、戦時中よりも却って本当の軍国精神が村によみがえり、筋金がはいる、などと正一郎はゴセンタクを下していたが、戦地から工場から帰ってきた若者どもは、ダンス、芝居、素人レビュー、男はポマードをぬたくり、女はパーマネントに頬ベニ口ベニ、軍国精神どころの段ではない。
 もとより正一郎はそこにこだわる人物ではない。彼はもはや村一番の民主主義者となり、働かざる者は食うべからず、平等、同権、又、兄弟も他人である。人間は独立、自主、自由でなければならん。依存することは許されぬ。
 衣子には、お前は東京へ行って事務員になってはどうだ。ダンサアもよい。女はパンパンをやっても食える。お前だけの美貌があれば、それが生活の資本で、どこへ行っても、独立の生計が営めるし、栄華もできるかも知れん。それが資本主義のよいところである。共産主義なら、女工になる、そっちでも食える。汽車賃は俺が出してやる。
 然し、たった百円の汽車賃も今はもう出してやれなくなってしまった。
 このへんでは一升四十円だせば米はいくらでも買える。正一郎には五升の米も気楽に買えない身分となり、時たま都会へ書画骨董を売りにでると、ニセモノだと難グセつけられ、捨て値同様値ぎり倒されてしまう。
 幸蔵がにじりよって、
「兄さんはショーバイへたゞ
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