判と内容の目を見失はうとしてゐる。
民衆は先づ「生活」すべきものであつて、決して党派人たることを要しない。政友会だから民政党の嫁は貰はないといふのは田舎の実話であるよりも笑話であるが、今日でも同じことで、近頃の激化した党派性では、あいつは共産党だから嫁にやらぬとか、あいつはブルジョアの娘だからどうだとか、結局再び同じ笑ひ話が笑はれもせず堂々と横行しはじめる形勢にある。
人間は先づ生活すべきものであり、生活は常により高い理想に向つて進むべきものであつて、固定してはならないものだ。民衆が政治をもとめ、よりよき政党を欲するのは、自らの生活を高めるための手段としてで、政治家は民衆の公僕だとはその意味だ。先づ民衆の生活があり、その生活によつて政党が批判選択せらるべきで、民衆が党派人となることは不要であり、むしろ有害だ。
政治は実際の福利に即して漸進すべきものであり、完璧とか絶対とか永遠性といふものはない。政党はその時の状態や条件に応じて民衆の批判を受け、民衆はその都度事態に適合した政策をもつ政党を選ぶのが良い。明日の政治に社会主義が最適ならばその党を選ぶべく、然しその党に固定し、又、束縛せ
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