はれてゐるところに、大きな間違ひがある。こんな政治の神様がゐては困りもので、実際の政治といふものは社会主義とかニュー・ディールとか実際に即した福利民福の施策を称するものである。彼にはさういふ施策はない。政治家としての実質的な内容に於て、実はゼロであつた。つまりは政治理論家にすぎず、理論家としては決して高度の理論の所有者でもなかつた。
要するに咢堂は文学的な精神をもつた男であり、「文学の神様」志賀直哉よりは文学的な、人間的な深さをもつてゐるけれども、文学自体の深さにくらべれば低俗な思索家で、真に誠実な人間的懊悩といふものは少い。政治家としては最も傍系的人物であるに拘らず、今日の如くジャーナリズムが彼を政治の主流的存在の如く扱ふことは甚だ危険であることを忘れてはならぬ。
党派性を難ず
明治維新の大業が藩閥とか政党閥によつて歪められ、あげくの果が軍閥の暴挙となつて今日の事態をまねくに至つた。閥とか党派根性といふものは日本人の弱点であつて、それによつて日本の生長発展が妨げられてきたことは痛感せられてゐるに拘らず、敗戦後、政治に目覚めよといへば再び党閥に拡る形勢を生じ、正しい批
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