られる必要は毫もない。ところが日本人は党閥に走りがちで、自ら固定し、束縛せられて、生長とか発展とか、正当な変化や広い視野を好んで限定してしまふ。その結果は再び議会政治の正しい運用を忘れ、党派による独裁政治に走ることとなつて、国運の不幸を招く結果となり、民衆の生活を不当に歪める事態を生ずるに相違ない。
何故にかかる愚が幾度も繰返さるるかと云へば、先づ「人間は生活すべし」といふ根本の生活意識、態度が確立せられてをらぬからだ。政党などに走る前に、先づ生活し、自我といふものを見つめ、自分が何を欲し、何を愛し、何を悲しむか、よく見究めることが必要だ。政治は生活の道具にすぎないので、古い道具はいつでも取変へ、より良い道具を選ぶことが必要なだけである。政治の主体はただ自らの生活あるのみ。自らの生活は宇宙の主体でもあつて、自我が確立せられてのみ国家も亦確立せられるだらう。
日本に必要なのは制度や政治の確立よりも先づ自我の確立だ。本当に愛したり欲したり悲んだり憎んだり、自分自身の偽らぬ本心を見つめ、魂の慟哭によく耳を傾けることが必要なだけだ。自我の確立のないところに、真実の道義や義務や責任の自覚は生
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