敵機は全部体当りして一機も生還せしめないと豪語した結果の惨状は御覧の如くであり、飛行機のことは俺にまかせて国民などは引込んでをれと怒鳴り立てた遠藤といふ中将が、撃墜せられたB29[#「29」は縦中横]搭乗員の慰霊の会を発起して物笑ひを招いてゐるなど、職業軍人のだらしなさは敗戦日本の肺腑を抉る悲惨事である。軍人精神には文化の根柢がないから、崩れると惨めである。浮足立つて逃げ始めると大将も足軽も人格の区別がなくなり一様に精神的に匪賊化して教養の欠如を暴露する。死生の覚悟などといふものは常に白刃の下にある武芸者だの軍人などには却つて縁の遠いもので、文化的教養の高いところに自ら結実する。問題は文化、教養の高低であつて、特攻隊員の死をみること帰するが如しなどといふ教育などは取るに足らない。
「文芸」九・十月号に志賀直哉は原子爆弾の残虐さに就て憤りをもらしてゐるが、この人道ぶりも低俗きはまるものである。原子爆弾を一足先に発明した国にこの戦争の軍配が上るであらうことは戦時国民の常識であつて、その期待を恃《たの》みにしてゐた国民にとつて、十万円の研究費すら投じなかつたといふ軍部の低脳ぶりは国民を驚倒せしめたものである。憤るべきはこの軍人の低脳ぶりだ。残虐なのは戦争自体であつて、原子爆弾には限らない。戦争と切り離して原子爆弾一つの残虐性を云々するのが不思議な話ではないか。志賀直哉の人道だの人間愛といふものはこの程度のものであり、貴族院議員が貴族院の議席から日本を眺めてゐるのと全く同じものである。特攻隊員を再教育せよなどといふ心配も、単に昔ながらの小さな平穏を欲してゐるからの心情であり、日本がそのあらゆる欠点を暴露した敗戦泥濘のさなかに於て、彼の人生の問題がこんなところに限定されてゐるといふことが、文学の名に於てあまりにも悲惨である。戦争、そして、敗北。国家の総力を傾け、その総力がすべて崩れてあらゆる物が裸体となつた今日の日本に於て、その人の眼が何物を見つめ、狙ひ、何物を掴みだすか、といふことは、興味ある問題だ。その人の内容だけの物しか狙ひ又掴みだすことができず、平時に瞞着《まんちやく》し得た外見も、ここに至つてその真実を暴露せずにはゐられない。志賀直哉の眼が特攻隊員の再教育などといふことに向けられ、ただ一身の安穏を欲するだけの小さな心情を暴露したといふことは、暴露せられた軍人精神の悲
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