は大望に生きる人だ。ねえ、その望みを打ちあけて下さいな。私にも一口張らせて下さいな。私は全財産を投げだしてダンナにはろうじゃないか。その代りダンナが望みをとげたら、オレを一のコブンにして下さい。ねえ、ダンナ」
「…………」
 きこえるのか、きこえないのか、シシド君、半眼、相手になろうともしない。
 この有様に怒髪天をついたのはオタツであった。天下ただ一人の男とたのむ亭主が両手をついてシドロモドロであるから、かくもウチの人をたぶらかす化け狸め、もうカンベンならねえと、便所の手ヌグイをもちだすや、リュックのうしろへまわり、それにもたれてウツラ/\のシシド君のクビへ便所の手ヌグイをまきつけて、
「この野郎、ナマイキな。ウチの人に手をつかせやがって、挨拶一ツしねえか。それほどお前が偉いかよ。偉いか、偉くないか、オレが正体見とどけてやる。さア、どうだ」
 片ヒジでシシド君のクビを起し、ゆっくり手ヌグイをまきつける。シシド君、されるままに逆らいもしない。もっとも、オタツが何をするか。オタツ以外の人には見当がつかなくなったのである。
「エイッ!」
 手ヌグイをまくと、オタツはいきなり力いっぱい首をしめた。
「ギャッ!」
 という奇声を発して、ただの一シメによってシシド君はもろくものびてしまった。いささかも劇的なところがない。蛙がワナにしめられて、のびたようなものであった。
 おどろいたのは、ドロボー君。一気に酔いもさめ果てて、
「オタツ、お前、殺したじゃないか」
「死んだって、かまうもんかね」
「待てッたら」
「ナニ。死んだらバラバラにして捨てちゃえばいいよ」
「たのむ。オイ」
 ようやくオタツの手を放させて、シシド君の首から手ヌグイをほどく。この時ばかりは指先の魔術も魔力を失い、まったくシドロモドロだ。大急ぎでバケツの水をもってきて、ぶッかける。シシド君、静々と生き返った。
「ワアー生きた。ありがたい。助かった」
 と大感激。思わず腰がぬけるほど張りつめた気持がゆるみ、うれし涙が頬をつたう。しかし、感きわまっているのはドロボー君ただ一人である。生き返ったシシド君も、殺しそこねたオタツも、何事もなかった如くに、いささかも取り乱した様子がない。シシド君はヒシャクの水をぶッかけられたと同じだけの反応を呈しているにすぎないのだ。

          ★

 ドロボー君はその晩一睡もで
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