ゐた。彼はタツノに話しかけ、タツノの方には返事もないのに、自分一人のそれもなんだかわけの分らぬ激情のために不意に涙を滲ませてゐる自分に気付き、然し彼は訝かる思ひも感じなかつた。
「あの杜の青々とした深さをごらん」二人そろつて散歩にでて、彼はタツノに指しながら言ふのであつた。「ほら、鳥がとんでゐる。ああ、あの麦の穂にはきれいな羽虫がとまつてゐるよ」
 そして彼はとつぜん泣いてゐるのであつた。さういふ自分が嘘つきで、浅薄な感傷家で、鼻持ちならぬロマンチストであることを、彼は思ひもしなかつた。あるがままの姿に於て、すべてが純粋に受け容れられる素直さのみが分るのだつた。失はれた少年の日の思ひ出のほか、いつの日か再びそれを知りえようと思はれた素直さで。
 彼はタツノの痰壺を処理することも不快ではなかつた。その献身も素直であつた。ひそかに誇る思ひもなければ、批判のメスに切り刻む必要とても感じなかつた。タツノの病気を治してやるのが、彼のたのしい義務に見え、義務を思ふと溢れる力と喜びを感じるのだつた。
 安川のタツノに寄せる献身が、松江にとつては皮肉でなしに滑稽だつた。然し献身の激しさと、ある意味の純粋さとは分つてゐた。その献身が自分に曾《かつ》て与へられたためしなく、愛しもしない一人の女に執拗なほどささげられてゐることを見て、松江は嫉妬に苦しむよりもむしろ優越を感じるのだ。タツノにささげる献身は愛と××の証明でなく愛もなく、××もない証明だつた。人間関係であるよりも小児と玩具の関係のやうな思ひがした。そんな惨めな関係を、自分だけは安川に拒みつづけてきたやうな思ひがして、自分に拒まれた腹いせがこのていたらくであるやうな優越感と軽蔑を感じた。自分だけが虐められてゐたからでなく、安川も自分に虐められ、復讐されてゐたのだと考へるのだ。死んでもあいつに愛されてやるものか。あの悪党を憎みとほしてやるのだ、と涙を流して心にかたく誓ふのだつた。

 タツノはひどい嘘つきだつた。それに手癖がわるかつた。ちよつとの油断で一円二円が忽ち消えてしまふのである。金がかうして失くなつた日は、タツノは自分の犯行をすつかり自白してゐるやうに、外出するのが例だつた。その間抜けさは憎めなかつた。活動を見に行くらしかつた。下駄を買つたり、半襟を買つたり、二三十銭の指輪を買つたり、さうしてそれを昔の店の朋輩達へ見せびら
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