アトリヱへ立ち寄つてみると、置き残してきた珍客兄妹に異常はなく、思ひがけないことには、秋子とあぐりとこれも同じ画学生の巨勢《こせ》きそのといふ有閑婦人の三人が我物顔にアトリヱを占領してゐた。
 巨勢きその(木曾野と書くのが本当で、父親の木曾の役人時代に生れたのだと言ふことである)は三十五六の富裕な未亡人で、金と行動が至極自由になるところから、自然十数名の画学生から党主的待遇を受けてゐたが、その割合に我無者羅でなく、ある優しさと弱々しさのつきまとふのが、がつちりした娘子軍に利用されながらも、先頭に立つた家鴨のやうな愚劣な形になることがなく、深さある人柄を感じさせるのであつた。
 ところが或る日、女画学生のズラリと並居る面前で、私は突然この弱々しい婦人から誰憚らぬ高声で極めて単刀直入に普通決して人前で言ふべきではない話を受けた。言ふまでもなく木曾野は東京に住んでゐたが、この日は何かの都合があつて静浦の別荘へ泊らなければならないと言ふのだが、汽車道の長さもやりきれないし別荘の寂しさも堪らないから、四五日滞在の心算で私に一緒に来てくれないかと言ふのであつた。
「貴方お一人だけ来ていただきたいの
前へ 次へ
全125ページ中93ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
坂口 安吾 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング