べりに刻みながら、大きな声で呟いた。「フフム。これがアトリヱか。却々綺麗な女がゐるぞ……」と。
私は咄嗟にむらむらすると、背面からやにはに足払ひで蹴倒してしまふ気持になつた。然しいざその瞬間になつたところで、蹴倒した後の大袈裟な騒ぎがたまらなく惨めな自分に思はれたのだ。二三の戯画的な不快な映像が流れるうちに、はづみをつけた左足で私は自然に力一杯豪傑の片足を踏みつけてゐた。顔を歪めた豪傑に「失礼」と私は言つた。「君の行く部屋はあちらです」
豪傑は怒りのために飛びかかる力を盛りおこさうとしかけたが、弱気の男が行動的に走つた場合のひたむきな殺気を私の構えに読みとると、急にぐらりと態度を変えて、悠々と肩をゆすつて応接室へ歩いていつた。小犬にかまはない猛犬のやうに。
私達を追ひかけて、画室の中から一人の女のけたたましい笑ひ声が沸き走つた。私は心に「しまつた!」と叫んだことを記憶してゐる。その笑ひが豪傑の荒々しい心を呼び覚ますことを私は怖れはしなかつた。私はただこの出来事が秋子の胸を突き荒すことを悲しんだのだ。笑ひ声をきいた時、私の身体は可愛い女の苦悶の呻きをきいたやうに冷めたくなつた。然し
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