私塾の用に使はれてゐた。元来芹沢東洋は、そのペッシミズムから、責任をもつて弟子の教育に当るといふ余計な心労を厭うてゐて、絵によつて身を立てやうといふ弟子を専ら断はることにしてゐたが、或時近親の娘を託されたことが機縁となり、嫁入り前の茶の湯なみの稽古とか、有閑婦人の閑つぶしといふ責任のいらない場合に限り弟子をとることにしてゐたのだ。芹沢東洋が第二回目の狂乱的な愛慕を寄せた伊吹山秋子は、それらの娘の一人であつた。従而、いはばアトリヱの主ともいふべき私が、伊吹山秋子と特殊な関係を生じることになつたのも、決して偶然ではなかつたのだ。
 叔父が秋子にひそかな思ひを寄せはじめたことは、その時々の偽りきれない表現から、相弟子達は無論のこと、私にも分つた。その頃から叔父の生活様式が変化して、授業が終ると早速引上げる習慣の叔父が、弟子を相手にいつまでも無駄話をするやうになり、娘子軍《じようしぐん》の一隊を引率《ひきつ》れて、散歩や映画を見廻ることが連日のことになつてきた。勿論叔父の目的が一人の秋子にあることは誰の眼にも明らかで、娘子軍の話題にもそれが公然のことになると、一大隊の連日の散歩も自然芹沢東洋と
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