しろ絶望の息苦しさを多少ともまぬかれたに相違ないのだ。古風な詩的情操を多分に持ちすぎた不惑の画家は、蕗子にひそむ聖霊を信じ、それにからまる自らの新らたな光りを、然しあくまで信じつづけてゐたのだつた。地に足のない信念が知らないうちにどんな大きな心の重荷に変つてゐたか、どんな深い絶望に変つてゐたか、そしてそれがだういふ形で現れたか?――即ち芹沢東洋は突然生れて第二回目の恋をした。生憎のことには、再び私の恋人に。……
 私は先程芹沢東洋に三つの住所のあることを一言述べておいた筈だ。即ちその一つは言ふまでもなく妻子の住む本邸であり、他の一つが蕗子の住居であることも断るまでもない話として、最後の一つが特に静かな郊外に建てられたアトリヱであつた。このアトリヱには留守番の形で、私と私の妹が住んでゐたのだ。
 当然本邸に附属して建てらるべきアトリヱをだうしてわざわざ遠い郊外へ運びだしたか? これには芹沢東洋の深謀遠慮と、充分の必要があるのだつた。このアトリヱは愈々蕗子が彼のもの[#「もの」に傍点]に定まつたとき、倉惶《そうこう》として工を急がせアラヂンの城の如くに建てられたものだ。かう言へば直ちにそれ
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