いても言ふまでもなく生活の全面に於て新らたな光りと出発を獲得したのだと熱狂して人にも語り、自らも固く心に信じたのは、一時の亢奮ではあつたにしても、贋物ではないのであつた。言ふまでもなく当時の彼の一方ならぬ寂寥や怒りや焦燥や悲しさから無我夢中に飛びついた一獲物ではあつたにしても、彼の心は偽りなしに、むしろ狂的なひたむき[#「ひたむき」に傍点]をもつて、全面の生活が、生命力が、ここに新らたに始まるのだと意気込んだのは無理に強めた空虚なかけ声ではなかつたのだ。勿論その正体は枯草のやうなものでもあつた。半年一年とたつうちには、始めの意気込みが過重な負担に変り、やがては形を変えてのつぴきならぬ絶望にさへ変つても、然も芹沢東洋は蕗子への愛と新らたな出発への光明をあくまで信じつづけてゐたほどであつた。
芹沢東洋の囲ひ者となる時まで、蕗子は女子大学の学生であつた。生家も決して貧しくはなく、当然良家へ嫁して然るべき娘が、甘んじて不惑の書生の二号におさまるといふ異数の出来事を回想しても、私は当時の異常な情熱に燃え、熱狂に自失して最前線を疾走する傷ついた兵士のやうな猪突的な力強さで、蕗子の家族と折衝し、蕗
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